私の会計史 theme7 サウジアラビア勤務時代(1982~1983)

  藤田敬司

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NYを断念しサウジアラビアへ

本店経理部勤務が6年になり,次の転勤先として米国のNY本店勤務を希望した。ところが9割方決定したところで,2つの理由からサウジアラビア転勤への打診を受けた。1つは,海外勤務への憧れには,欧米文化だけでなくエキゾチックな異文化への好奇心があった。ただし当時は,まずアラビアと聞いてイメージしたのは,歴史映画「アラビアのロレンス」を観た強烈に印象的な砂漠のシーンだった。第2の理由は,2度の石油ショックを経て,サウジアラビアは世界最大の産油国となり,流入した巨額ドル資金を使うインフラプロジェクトが目白押しだったが,会社は当時IJPC(イラン・ジャパン石油化学開発)プロジェクトに経営資源を傾注しすぎて,サウジには完全に出遅れていた。紅海側のジェッダとペルシャ湾岸のアルコバール,それに首都リヤドの3か所には鉄鋼製品等を売り込むための駐在員事務所はあったが,大型プロジェクトを履行できる拠点作りが早急に求められていたのだ。

そのような会社のニーズに応えるのに経理要員がふさわしいかどうか定かではなかったが,"おもしろそうだ,何とかなるだろう"と思って決心した。だがそうは言っても...