ハーフタイム 渋沢栄一の簿記会計導入案と歳入歳出均衡案

  

( 37頁)

尊王攘夷の志士,一橋家の家来を経て,明治政府の官僚となった渋沢は,短期間に様々な制度改革を断行した。しかし,欧米式簿記会計によってミスをなくす出納改革案と,歳入と歳出をバランスさせる財政改革案は,残念ながら頓挫せざるを得なかった。いずれもどんぶり勘定による資金収支と財政収支を改めようとしたが,内部勢力の根強い抵抗にあってうまく行かず,数年で大蔵省を去り,民間に移って大活躍するきっかけとなった。

明治5年に大蔵省総務局長となった渋沢は,文書主義と伝票による欧米式の簿記会計を導入しようとした。ところが,出納局長は総務局長室に乱入し,"一から十まで外国のマネばかりして,簿記によって出納を行わせようとするから,こんなミスが起こるのだ"とわめきながらコブシを振り上げて殴りかかってきた。武道の心得のある渋沢はひらりと身をよけて事なきを得,相手はクビになったが,出納改革案は頓挫した(『論語と算盤』第2章 ちくま新書)。

歳入歳出均衡案で意見が衝突した相手は大久保利通であった。陸軍に800万円,海軍に250万円と,当時としては巨額の歳出を求めてきた。歳入歳出の均衡を優先したい渋沢は「歳入の見積りが終わるま...