<IFRS COLUMN>暖簾に腕押し 第160回 失われた40年(12)

 国際会計基準審議会(IASB)前理事 鶯地 隆継

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新橋駅の悲劇

新橋は日本の鉄道発祥の地である。1872年日本初の鉄道が新橋と横浜を繋いだ。鉄道網の発達と共に新橋駅も拡大していく。日本の首都東京の窓口として中心的役割を果たすはずだった。しかし、新橋駅には大きな欠点があった。それは駅の構造がターミナル構造であったことである。つまり、行き止まりの駅だったのだ。

当時、新橋から西の旅客と、上野から東北方面の旅客は馬車鉄道で結んでいたが、不便なので、新橋と上野を結ぶ鉄道(東京市街高架鉄道)を建設する計画が持ち上がり、新橋と上野の中間地点に中央停車場という駅を設けることにした。それが現在の東京駅である。1914年の東京駅の開業に伴い、東京の玄関口としての新橋駅の地位は失われていくこととなる。また、新橋駅の構造がターミナル構造だったことから、新線開通時にはオリジナルの新橋駅からずれた場所に新しい現在の新橋駅を設けた。それに伴って、オリジナルの新橋駅は旅客駅の地位を追われ、貨物ターミナルとなった。

しかし、高速道路網の発達に伴って、鉄道貨物輸送が著しく低迷し、日本国有鉄道(国鉄)の経営を圧迫していく。そして、ついに1987年、国鉄は分割民営化され、それに...