高田耕造商店 高田大輔さんに聞く 廃れた棕櫚製品産業を引き継ぎ、V字回復した方法【マネジメント倶楽部・今月の深読み!】

このコラムは『マネジメント倶楽部』2023年5月号に掲載されました。

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 1948年創業の高田耕造商店は、たわしや日用品を作り続けてきました。一般的にたわしと言えば、100円ショップで並ぶような廉価商品の代表格ですが、高田耕造商店のたわしはお手軽なものも770円(税込:しゅろのやさしいたわし まる 小)からで、けっして安くはありません。中には商品到着まで半年以上という人気商品もあります。一度は廃れた紀州産の棕櫚商品を復活させ、売れなかったたわしを売れるようにしたと同時に、自ら山に入って棕櫚山の再生もしている、3代目の高田大輔さんに、その経緯を聞きました。

 「たわしって言われて何を思いうかべます?僕が幼いころは、有名なテレビ番組でハズレの景品がたわしでした」と、大輔さんは話します。自宅に遊びに来た友人に、「お前の家、たわし屋かよ」とからかわれ、「たわし屋はダサい」と、家業を継ぐつもりは全くなかったそうです。高校卒業後は、大阪の調理学校へ進み、レストランやカフェの仕事を経て、自分のレストランを持つという夢を持って20代半ばで地元に戻りました。それから2年ほど地元のレストランで勤めたのですが、辞めてしまいます。
 「父親に『早く次を探してこい』と言われるだろうと覚悟していましたが、『ほな、行こか』と誘われたんです」
 大輔さんが連れて行かれたのは取引先で、「社長、息子が戻ってきたのでよろしくお願いします」と父親が挨拶を始めました。
 「面食らいました。まだ継ぐなんて言っていないのにと思いましたが、若いからみんな珍しがって可愛がってくれますし、母親や祖母も「死んだおじいちゃんが喜んでいる」とありがたがってくれるので、しだいに、僕もまんざらではない気持ちになりました。それに、家の隣に職場があって、 17時になれば上がれて、土日は休みというのは、料理人時代に比べると天国のように見えました」

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(写真:天然素材の棕櫚を手編みした鍋敷き、箒などたわし以外の商品もある。)

売れない中でのチャレンジ

 和歌山県北西部にある海南市は、古くから台所用品の製造が盛んな地域。中でも、ヤシ科の植物である棕櫚の木の皮を使った縄やたわしの製造は紀州(*)産の材料と共に、地場産業として発展してきました。しかし、戦後になると中国産の安価な棕櫚に取って代わられ、その後はパーム(ヤシの実)製のさらに安価な輸入品が入り、棕櫚製品そのものが衰退。高度経済成長期には、ナイロン素材に切り替わり、縄はロープ、棕櫚箒はナイロン箒に、たわしもスポンジに姿を変えます。
 「うちの会社も大きなメーカーさんの下請けでスポンジ製造の仕事をしていました。ただ、材料の棕櫚を中国産のものに置き換えながら、たわしは作り続けていました」と、大輔さん。
 大輔さんが家に戻ってきた当時、自社製品と言えるものは、父親が考案したミニチュアたわしのストラップだけ。小さくて精巧なたわしのストラップですが、販路がない状況でした。そこで、下請け仕事の合間にバイクを走らせて海南市から高野山まで行き、たわしストラップの飛び込み営業を開始します。
 街道沿いのお土産物屋のおばさんに1個500円というと、「高すぎる」「どこの棕櫚を使ってんの?」「中国ならもっと安いはず」「お宅、いくらもうかってるの?」などといろいろ言われてショックを受けた大輔さん。極め付きの一言は、「なぜこのあたりの棕櫚を使わないの?」だったそうです。
 「もう、棕櫚のことを何にも知らないことに気づいたことがショックで、逆に『和歌山に棕櫚があるん?』と聞き返したくらいです。悔しかったし、反省しましたが、同時に料理人の血が騒ぎ出しました。料理人にとって材料の産地はとても大事です。たわしの材料にも日本産があるならそれを使いたいと思いました。ただ、このときはまだ、紀州産のたわしという新製品を作って、たわし事業を復活させようとかは全く思っていませんでした。ただ、お土産屋のおばちゃんをギャフンと言わせるものを作ったろ、という気持ちでした」
(*)和歌山県全域、及び三重県の一部を指す地域。紀州藩に由来する呼び名。

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(写真:ストラップ:幅2×高4×1cmのミニチュアたわし)

一度目の紀州産製品は...

 家業の起死回生をかけて紀州産のたわし作りに励む......というより、成り行きでスタートした紀州産のたわし作りは、予想より困難な道でした。
 ある日、大輔さんは近所に棕櫚の木を見つけ、こっそり皮をめくって父親に見せました。すると「はぁ~、これが」と、父親も皮の状態を見るのは初めて。まず、皮を繊維に加工する機械を製造するところから始めました。そして、紀州産のたわしを作りたいとほうぼうに話していると、「売ってやる。その代わり在庫をすべて買ってくれ」という業者に出会います。
 「ちょっと様子がおかしいとは思いましたが、棕櫚皮の生産者がいなくなっている状況でしたので、飛びつきました」
 蓋を開けてみると、中身は、たわしに加工することもできない"古い棕櫚皮"でした。それでも諦めずにいると、棕櫚縄の職人さんを紹介してもらうことができました。のちに大輔さんの師匠になる方ですが、その方が自宅の山に植えていた棕櫚の皮を持ってきてくれたのです。紀州産のたわし作りを目指して、2年の月日が経っていました。
 一体どんなものができるのか、ドキドキした大輔さん。しかし完成したものは......普通のたわしでした。
 「これでは、土産物屋のおばちゃんを納得させられないなぁと、がっかりでした。中国産ので充分。日本の棕櫚にこだわるのは無駄なのではないかと思いました」

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(写真:きちんと手入れが施された紀州産の棕櫚皮)

たわしにかける

 ところが、国産品に対する見方が変わったのは、その2年後。「ええの取れたで」と、またあの職人さんが棕櫚の皮を剥いで持ってきてくれたときのことです。
 「職人さんは、あれから2年間、棕櫚の手入れをしてくれていたんですね。そのかいあって、今まで見たこともないようなたわしが出来ました。程よくコシがあって、色は赤々として、しっとりとした光沢のツヤがありました。『これはいける』と確信しましたね」
 実は、紀州産のたわしが出来る前のことですが、東京にある和歌山県のアンテナショップにたわしのストラップを置いてもらうと、国内の職人が加工していることが珍しいと、すぐに問屋から電話があり、取扱いが決まり、日本のもの作りを応援する、生活協同組合にもまとまった数を卸すようになりました。そこで、紀州産の棕櫚の柔らかな特徴を生かして、美容商品としてリリースしてみてはどうかというアイデアが浮かびました。この商品は、「紀州棕櫚のからだ用たわし」として、現在まで続く大ヒット商品になりました。
 紀州産たわしに活路を見出した大輔さんは、たわし事業に絞りたいと思いはじめます。ただ、会社の売上自体のほとんどは、下請け仕事によるもので、その額は大輔さんが実家に戻る前の数倍に拡大していました。
 「僕が実家に戻ったことで、地元の大手メーカーの社長さんたちが期待して仕事をたくさんくれたんです。それなのに、僕がたわしの仕事に専念したいと言うと、たわし関連の売上はまだ微々たるものでしたから、周囲からはいろいろ言われました。結果的に、下請け仕事は縮小し、僕がたわし部門に専念することになりました。僕は絶対にたわしを売るぞと心に誓っていました」

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(写真:和歌山の棕櫚山)

和歌山から世界に羽ばたく

 さっそく東京のギフトショーに出展しました。地元では、「今どきたわしなんてよく作るわ」「中国で作ったらもっと安く作れるのに国産なんて」「たわしで身体を洗うなんて考えられない」という反応ばかりでしたが、東京はというと引く手あまたで、来る日も来る日も商談でした。商談が100社を超え手応えを感じたものの、1年経っても取引が全く成立しません。相談が来るのは手仕事を中心とした小さな会社では受けきれない量の発注ばかりで、その年の決算はびっくりするほどの大赤字でした。
 ところが、石の上にも三年というように、諦めずにこつこつと通販、百貨店、雑貨屋などに通って種をまいた結果、ある雑誌が火付け役となり、注文の電話が少しずつくるようになりました。ここ数年はフランスのパリで開催される世界最高峰のインテリア・デザイン関連見本市の「メゾン・エ・オブジェ」にも出展するようになりました。
 世界的に環境保全に関心が高まる中、天然素材で環境に良いものを長く使おうと棕櫚のたわしや箒に注目が集まるのは、必然の流れともいえそうです。しかし、1個1,000円以上するたわしや、2万円弱の棕櫚の箒が人気なのはそれだけの理由ではないでしょう。創業以来続くたわしの加工技術の伝承、大輔さんの父親が開発した、高度な技術を濃縮させたミニチュアたわしのストラップ等があったうえで、大輔さんがその火を絶やさず、地場産業として一度は廃れた棕櫚製品を斬新なものとして世に送り出したからでしょう。
 「今、棕櫚山で師匠に教わりながら木の手入れをしています。山仕事は想像以上に骨が折れます。たわしも棕櫚山も、残そうと思っても自分だけではできません。誰かにそれを継げと強制するものでもありません。ただ、 棕櫚は山の神様が作ったもので、どんな素材より優れています。一度使ってみたら棕櫚の良さがわかります。まずは、知ってもらい、使ってもらうことが大事で、その積み重ねの先に棕櫚産業の未来があると思います」

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(写真:紀州産の希少な棕櫚を使用したボディたわし)

たわしの製造過程。棕櫚の繊維を針金に挟んだものを棒状にまとめ上げ、折り曲げて縄をかける。両端の針金を留めて完成。

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高田耕造(たかだこうぞう)商店
会社名:株式会社コーゾー 代表者:高田英生
【本社】〒640−1173 和歌山県海南市椋木97−2 電話:073−487−1264 FAX:073−487−3318
HP:https://takada1948.jp
〈受賞歴〉
●平成28年度プレミア和歌山推奨品 審査委員特別賞を受賞 ●2017年度ふるさと名品オブ・ザ・イヤー「自治体が勧めるまちの逸品部門」最優秀賞を受賞(推薦者:和歌山県) ●2017年度ふるさと名品オブ・ザ・イヤー「モノ部門」地方創生大賞を受賞(後援:内閣府、農水省、経産省)

(文/平井明日菜 トップ写真/上垣喜寛 商品写真/株式会社コーゾー提供)


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