創業300年の老舗旅館の後継者 安藤義和さんに聞く 歴史を引き継ぐ事業の承継【マネジメント倶楽部・今月の深読み!】

このコラムは『マネジメント倶楽部』2022年7月号に掲載されました。

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 箱根登山鉄道の宮ノ下駅は、標高436mにあり、真夏でもどこか涼しさを感じられる場所です。駅から坂を下ってすぐのところに、「NARAYA CAFE」があります。箱根登山鉄道を見送りながら、源泉掛け流しの足湯につかり、食事までできてしまうカフェは、宮ノ下の人気スポットの1つです。実は、ここは老舗旅館の従業員寮を改装して作ったカフェです。オーナーの安藤義和さんのご実家は、江戸時代から続く老舗旅館でした。2001年に創業約300年の歴史に幕を下ろしましたが、6年後、「NARAYA CAFE」として息を吹き返しました。その経営者である安藤ご夫妻に、事業継承をテーマに話をお聞きしました。

 幼いころから、将来、自分が旅館を継ぐことを義務のように思っていた義和さん。 1万5千坪ある旅館の敷地内で生まれ育ち、錦鯉が泳ぐ池がお気に入りの遊び場でした。旅館を経営していた両親の他に、住み込みの仲居、板長、番頭、庭師、石工、大工の総勢20人の決まった顔ぶれが常にいて、たくさんの「家族」の中で育ち、おもちゃが壊れると大工に直してもらうのがお決まりでした。そんな旅館が2001年に閉館することになりました。当時、義和さんは東京大学の学生でした。

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(写真:手前が源泉掛け流しの足湯。奥がカフェスペース)

 奈良屋旅館は江戸時代、湯治宿として大名の本陣が置かれたことが始まりです。明治になると、目と鼻の先に日本屈指のクラシックホテルの富士屋ホテルがオープン。当時多くなった外国人客の争奪戦を繰り広げ、明治26年には"富士屋は外国人専用、奈良屋は日本人専用"という協定が成り立ったといいます。その風習は敗戦後も残り、連合国軍総司令官のマッカーサーは富士屋ホテルに宿泊、当時争点であった大日本帝国憲法改正をめぐって、日本側の代表団は奈良屋旅館に宿をとって新憲法草案づくりに励んだといいます。歴史の舞台になったのはそれだけではありません。岸信介首相の定宿となり、旅館内に記者室が置かれたほどで、安保闘争で揺れる国会にここから通うなど、多くの著名人に愛された旅館でした。

閉館の理由となった相続問題
 旅館の営業成績は決して悪くありませんでした。しかし、2度にわたる相続問題が原因となり、閉館の選択を迫られました。 1度目は、1964年に義和さんのご両親の前の代に当たる先代の当主が若くして亡くなったときに生じた相続です。夫婦の間に子どもがいなかったため、遺産の相続人は配偶者と当主の兄弟姉妹でした。当時の民法の定める法定相続分では、当主の配偶者である女将に3分の2、兄弟姉妹に3分の1。義和さんの母はその女将の姪で、夫婦で女将の養子になったのですが、時すでに遅し。一部の旅館の権利が他人に渡り、転売の末、権利を持つ人は40人に膨れ上がりました。それを取り戻すために、義和さんのご両親は民事裁判を起こし、その交渉がまとまるまで、35年以上の時を有しました。
 「母の前の代の女将が亡くなったらもっと複雑になるということで、実際の評価額の数十倍の金額で買い戻したと聞いています。しかし、その10日後にその先代の女将が亡くなってしまい、持ち分を取り戻す金額(価格賠償)に加えて、2度目の相続問題が生まれました。課税対象になった先代の女将の遺産額は10億円を超えました」(義和さん)
 弁護士らによって、奈良屋旅館の存続の道が検討されましたが、いかんともし難い状況でした。
 「相続問題で長年苦労してきた両親にとって、閉館の決断はつらかったに違いありません。だからこそ自分たちの代で幕を下ろすと決めたのでしょう。ただ、国の有形文化財に登録された建物と庭を残したいというのが両親の望みで、それが叶えられなかったのが悔しい」と義和さんは言います。
 広い敷地に8棟の別館がある別荘式の施設は贅沢ではありますが、収益性や効率を考えるとデメリットと捉えられました。建物には歴史的価値がありますが、この先10年の修繕費を試算すると新しい旅館が1軒建つほどかかるといわれました。とうとう、建物と庭を残すパートナーは見つかりませんでした。

奈良屋の二の舞いは避けたい
 旅館閉館後、義和さんは勤めていた会社を辞め、研究室へ戻る決意をします。研究室では、地方のまちづくりや歴史遺産を生かす、まちおこしの手伝いをしました。「これ以上、歴史的に価値がある建物を壊したくない、奈良屋の二の舞いは避けたい」と、広島県鞆の浦、富山県越中八尾、長野県北安曇郡小谷村などに調査に行きました。同時に、手放さずに残った宮ノ下駅前の古い建物と源泉を父と管理しているうちに、「宮ノ下で理想とするまちづくりに取り組みたい」と思うようになりました。こうして、築50年の従業員寮を自分たちで改装し、世界から宮ノ下に集まった旅人が、互いに交流できるようなゲストハウスを経営したいと妻の恵美さんに相談します。
 恵美さんの答えは"NO"。「2006年当時は、日本ではゲストハウスの存在があまり知られていませんでした。生まれたばかりの子どももいて、時期尚早と判断しました。ただ、カフェからスタートするなら可能性があると思いました」(恵美さん)
 旅館時代に所有していた源泉8本のうち、1本だけ残る源泉を利用した足湯カフェを思いつくも、義和さんの両親は奈良屋の名前を使うことに難色を示しました。「先代たちが守ってきた奈良屋の精神を引き継ぎながら、そこに私たちらしさを吹き込みたい。かつて夫の両親がしていたように、自分の子どもに働く親の姿を見せたい。こう説得したら、オッケーが出ました」(恵美さん)

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(写真:岸信介元首相も奈良屋を定宿とした。子ども時代の安倍晋三元首相の姿もある。奈良屋旅館の庭園にて撮影)

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(写真:奈良屋旅館時代の大きな看板は、ギャラリースペースに展示されている)

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(写真:奈良屋旅館時代の板長が書いた初夏のメニュー。ギャラリーに展示されている)

おもてなしの精神を引き継いで
 建物を改装しているとき、倉庫から旅館時代に使われていたワインリスト、食器、宿帳などが出てきたことから、奈良屋の歴史を展示する『NARAYA展』を開催しました。中には戦争中、横浜の小学校の子どもたち約350人が奈良屋旅館に集団疎開していたときの写真もあり、「疎開中はお世話になった」と昔を懐かしんで訪れてくれる方も多くいたそうです。4日間の開催期間で、200人ほどが訪れました。『NARAYA展』がきっかけとなり、2007年にカフェがオープンすると、昔馴染みのお客さんが足を運んでくれるようになりました。
 NARAYA CAFEの店内には旅館時代に使われていた大きな一枚板の看板が飾られています。旅館時代と同様、接客のマニュアルはなし。あるのは「おもてなしは当代随一」といわれた先代女将の「客がしてほしいと望むことをしなさい」という精神です。
 「高級旅館といわれた奈良屋は、特別で豪華なおもてなしというより、心温まるおもてなしを目指してきました。例えば、庭のお稲荷さんを拝みにいった方が、祠の軒に頭を打ったと聞いたら、打ち付けても痛くないように軒を覆ってみたり、雨の日に散策しても、服の裾が汚れないように庭の土を踏み固めたり。そのような精神で、私たちも、小さい子どもやその親が気兼ねしない空間づくりなどにも取り組んでいます」(義和さん)
 恵美さんも、奈良屋流のおもてなしの秘訣についてこう話します。「私たち夫婦はスタッフに指示や注意をしません。きっと、カフェ改装を手伝ってもらううちに、スタッフにとっても、このお店が大事なものになったと思います。自分にとって大事な場所に来てくれるお客さまは、それだけで大事な存在ですよね。できるだけ楽しんで過ごしてほしいと心から思えるから、よい接客にもつながります。ここが、住み込みで家族同然のスタッフで回していた奈良屋旅館のおもてなしの精神に通じているのかもしれません」
 旅館の跡取りという意識もあって、義和さんが最後までこだわっていた宿泊施設の運営については、オープンから現在に至るまでの間で変化があったそうです。
 「宮ノ下の町は、骨董品屋や英語のレトロな看板がありながら、新たな施設が生まれるなど、古いものと新しいものが混在する不思議な町です。そのよさを生かして、 14年間営業してきました。コロナ禍に見舞われるまでは外国人観光客も多く、足湯ではいろいろな言語が飛び交い、国際交流が行われていました。そういう風景を見ていると、宮ノ下の『旅行者の交流拠点』として思い描いていた場所になってきたと実感します。ゲストハウスにこだわらなくても、交流の仕掛けはいろいろあると考えています。そのためにもカフェはまだまだ進化し続けます。今はサウナ施設を作っている最中です」
 形を変えて、奈良屋旅館ののれんは確実に次の世代に引き継がれています。

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(写真:サウナ設置中)

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(写真:本を読むもよし、キッズスペースで子どもと遊ぶもよし、何もしないで向かいの山々を眺めるもよしの空間)

安藤義和 あんどうよしかず
 1974年生まれ。2000年東京大学工学部都市工学科大学院卒業後、日本工営株式会社入社。アジア・アフリカなど海外でのODA事業のコンサルタント業務に携わる。奈良屋旅館閉館後の2004年、恵美さんとの結婚を機に地元に戻り、旅館時代の源泉と従業員寮を利用した「Naraya Cafe & Guesthouse計画」をスタート。セルフビルドでリノベーションを行い、2007年に足湯カフェ、2011年に雑貨スペースをオープン。現在、サウナ施設の拡張計画を実行中。
NARAYA CAFE(ナラヤカフェ) 神奈川県足柄下郡箱根町宮ノ下404-13 TEL:0460-82-1259
https://naraya-cafe.com/

(文/平井明日菜 写真/上垣喜寛)


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