創業110余年のみかん屋 株式会社井上 6代目社長 井上直也さんに聞く ベテランの常務と二人三脚で歩む、原点回帰の長期経営【マネジメント倶楽部・今月の深読み!】

このコラムは『マネジメント倶楽部』2023年9月号に掲載されました。

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 誰もが知る「冷凍みかん」を日本で初めて製造・販売したのは、今年で創業113年の神奈川県小田原市の株式会社井上です。3代目社長は、「昭和のみかん王」とまで称されましたが、全国的にみかんの生産量はピーク時の400万トンから現在の70万トンに減少し、同時に農業全体で生産者・後継者不足が叫ばれています。このような中で生き残っていくには、どうしたらいいでしょうか。代表取締役社長・井上直也さんと常務取締役の鈴木正廣さんにお話を聞きました。

──「冷凍みかん」といえば、かつては、鉄道の旅のお供として、今では学校給食でおなじみです。冷凍みかんは、1955年に小田原駅で発売を開始されますが、当時のことをお話しください。

井上:今では駅のホームで見かけることは少なくなりましたが、その当時は、アイスクリームはおろか冷たい飲み物の販売もほとんどなく、キンキンに冷えた冷凍みかんは爆発的に売れました。駅の売店だけでなく、食堂車でも置かれるようになって、「鉄道の旅のお供といえばみかん」というくらい人気になりました。

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(写真:井上直也さん(左)と鈴木正廣さん)

 なぜ駅でみかんを売っていたかというと、当社は大正時代から、みかん問屋として、地元のお弁当屋さんにみかんを卸していた歴史があります。昭和になって、そのお弁当屋さんが鉄道弘済会(現・株式会社JP東日本クロスステーション(かつてのキオスク))に移管されるようになり、そのまま駅の売店に卸すようになりました。しかし、みかんの旬は11月~3月で、私の祖父(3代目社長)が「夏に売れる商品はないか」と考え生まれたのが冷凍みかんの始まりです。
鈴木:私が入社した頃は、みかんが良い時代の1970年代です。「勤めに出るなら井上へ」とこの辺りではまことしやかに言われていました。すでに冷凍みかんは当社の主力商品でしたが、その開発の話はよく3代目から聞かされました。
 冷凍みかんは当初、今のような皮付きでは考えられていませんでした。当社は、戦前からみかんの缶詰の製造をしていたんですね。そのような経緯から、冷凍みかんを作る際も缶詰用に剝いたみかんで試みました。しかし、これがうまくいかない。衛生面や、何より旬のおいしさや香りを閉じ込めるにはどうしたらいいだろうかと、大洋漁業株式会社(現・マルハニチロ株式会社)さんに相談しました。そこで、まぐろの凍結技術を応用し、皮付きのまま、それも皮の表面に薄い氷の膜をはるように加工することが一番だとなったんです。

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(写真:冷凍みかんの製造の様子。1ヶ月かけて芯まで凍らせてから取り出し、再度水をくぐらせることで、表面に氷の膜がはる)

 小田原は農業だけでなく、漁業も盛んな土地です。漁業に使用する網を製造する漁網屋も数多くありましたので、冷凍みかんの開発前から、3代目は麻の漁網にみかんを入れて販売していました。みかんを漁網にいれると綺麗に見えるだけではく、見た目にもわかりやすいし、持ち運びやすい。それで全国に浸透しました。こういう地元の深いつながりがあって、私たちの会社も発展できたのだと思います。

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(写真:駅の売店でネットに入ったみかんが売られていた様子。昭和の会社案内から)

──みかん問屋として、他にどのようなことをなさったのですか。

井上:3代目は、周囲から「昭和のみかん王」とも称された人物でした。江戸時代に「みかん王」と呼ばれた商人・紀伊國屋文左衛門になぞらえているわけですが、同様にみかんで成功し、財を成しました。
 1940年、3代目は17歳で父を亡くし、大規模なみかん畑と、みかんの組合(神奈川県柑橘商組合)、青果卸会社、2つの缶詰会社を引き継ぎます。経験の浅い祖父を、当時の番頭がいろいろ支えてくれていたようです。戦後、兵隊から帰ってくる頃には、「生産・販売・加工、小売、すべて一貫して行いたい」という考えを持つようになっていたそうです。
 おりしも、戦後すぐにみかんブームが起こります。「みかん農家になれば御殿が建つ」と言われたほどで、みかんの収穫量は1975年までぐんぐん増え続けました。また、みかんの組合に神奈川県の農家の95%が参加するようになると、当社も大きな工場と選果機を持ち、みかん畑も30haに拡大します。そのころの年商は25億円で、年に一度、農家を含めた地元関係者、社員たちの約600名で、バスを12、13台ほど貸し切り、大規模な懇親会を開いていました。

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(写真:冷凍みかんが駅ホームで売られていた70年代)

 当時の社員たちは、年間を通して自社農園でみかんを栽培しつつ、11月からはみかんの買い付け、集荷、選別、出荷という日々で、本当に大変だったと思います。特に、山の中腹にあるみかん小屋で買い付けをするのは、重労働でした。道路が整備されていないので、一輪車や天秤棒で80キロのみかんを担いで急斜面を降りていたようです。ちなみに、この買い付けのスタイルは今でも変わっていません。直接買い付けにいって、私たちがみかんを小屋から運び出します。昔と違って道が整備され、トラックで小屋まで行けるようになりましたが、それでも、トラックの荷台に20kgのカゴを4段に積み上げるのは、至難の業です。
鈴木:私はまさに冬は買い付け、夏は冷凍みかんの配送という仕事をしていました。冬は人手がいるので、社員寮を建設して、東北から出稼ぎの人たちを200人ほど雇っていました。1箱4キロ入りの木箱に手作業でみかんを詰めるのは女工さんの仕事でした。
 夏は、冷凍みかんの配達が仕事です。朝5時に会社に着いて、トラックに商品を積んで八王子の冷凍庫まで行きます。冷凍庫に商品を詰めたら、前日から冷やしておいた冷凍みかんを取り出し、電車で各キオスクを目指します。売店の一番目立つところにガラス製の金魚鉢を置いてもらって、そこに1つずつ詰めていくのです。配り終わったら、トラックで会社に戻る。夜の7時くらいだったでしょうか。そして、次の日も5時からまた働く。これで月に2日しか休みがなかったのですから、すごい時代ですよね。でも、毎日、活気がありましたし、当時としては、お給料もとても良かった時代でした。

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(写真:みかん貯蔵庫。木箱で寝かせる)

──100年以上続く御社だからこそ、景気の良いときも悪いときも経験しているのではないでしょうか。

井上:私は5年前、27歳で社長に就きました。大学を卒業してすぐ埼玉県の会社に入社し、いわゆる「修業」をしている最中、父が体調を崩して急遽引退しました。いずれは家業を継ぐつもりでしたが、まさかこんなに早くその日が来るとはという思いでした。そんな私を支えてくれたのが、鈴木です。「そういえば、祖父が17歳で父を亡くしたときも、番頭が力になってくれたのだ」と思い、鈴木と二人三脚で歩む決意をしました。
 まずやらなくてはいけないことがありました。それは事業の見直しです。1970年に長崎と鹿児島に九州青果株式会社を設立していましたが、そこを閉鎖しました。また、当社は農家さんのためということで、保険の取り扱いや、FAX・プリンターなどの貸出というOA事業をはじめ、農家さんの御用聞きもしてきたのですが、それらの事業も整理することにしました。
鈴木:現社長に交代のタイミングで、会社を離れていったものは少なからずおりますが、残った従業員は、以前にまして目的意識とやる気を持って仕事をしています。3代目の「社員は家族だと思え」という教えは、今もきちんと守っています。

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(写真:みかんのラベル。昭和のアルバムから)

──現在のビジネスはどうでしょうか。

井上:現在は、全国の学校給食用に毎年500万個の冷凍みかんを出荷しており、当社の売上の6割が給食事業です。ただ、給食の特徴として、1食いくらかが決まっていて、主菜、副菜、デザートなどの部類ごとにも単価が決まっているので、給食事業は儲けるというよりは経営を安定させる意味合いが大きい事業です。それに、今は電気代もガソリン代も何もかも上がっているので、輸送費、大型の冷凍施設の維持を考えると、500万個の給食用の冷凍みかんを提供するには、それなりのコストがかかります。
 ですから、今は「がまんのとき」です。「残存者利益」という言葉があるように、冷凍みかん業界で最後まで生き残っていければ、お客様からの引き合いも多くなり、ビジネスを続けることができます。
 これからも子供たちに喜んでもらえるように、冷凍みかんを主力商品にしつつ、新しい取り組みにも力を入れています。それは、農業という原点に返るということです。社長就任時から鈴木が、「うちの基本は、農業です」としきりに言うのです。すでに自社農園で、試験的に玉ねぎを作っていて、収穫したものを持ってきては見せるのです。何年もかけて水はけの良い土にするなど、土壌改良もしていました。そこで、みかん畑として利用してきた5haの土地で「下中玉ねぎ」という甘みの強い、ブランド玉ねぎを栽培することにしました。私たちも、1農家として、地元の農家さんと共に歩んでいこうと思っています。
鈴木:ただ、問屋としては消費税のインボイス制度が導入されることになって、解決されるべき課題があります。農家は基本的に小規模事業者が多く、1,000万円以下の免税事業者です。ただでさえ忙しい小規模農家に手間と時間をかけてもらって、インボイス制度に登録してもらうのも現実的には難しい現状です。仕入額控除ができなくなることを受け入れる問屋もあれば、農家に負担していただく問屋もあろうかと思いますが、いずれにしても農業への影響は計り知れません。同様の悩みは業界でも数多く聞かれるようになってきました。今後の税制の行方に注目しているところです。
 これからの時代、農家や農業を守るとはどういうことなのか。農業のある未来を残すために、もっと議論が深まっていくといいなと思います。

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(写真:小田原市のふるさと納税の返礼品にもなった下中玉ねぎ)

株式会社井上
住所:〒256−0812 神奈川県小田原市国府津1-6-5
HP:https://www.inouemikan.com
  (冷凍みかんは、小田原の直売店、またはオンラインショップで購入できます)
代表取締役社長:井上直也

(文/平井明日菜 写真/上垣喜寛(一部)、株式会社井上提供)


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