伝統的な製法による無添加の干物づくり~沼津「奥和」【マネジメント倶楽部・今月の深読み!】

このコラムは『マネジメント倶楽部』2023年12月号に掲載されました。

有限会社「奥和」の奥村太郎社長に聞く
日本人の魚食離れが進む今だから伝えたい伝統の干物づくり

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 肉類と魚、どちらをよく口にしますか。実は今、家庭で魚を食べる機会が減ってきているといわれています。かつて「お魚大国」といわれた日本ですが、2001年をピークに魚介類の消費量は右肩下がりで、2011年以降は肉類の消費量が魚介類消費量を上回るようになりました。特に、安くて栄養価も高いと毎日食卓に上っていた干物は、調理する際の匂いや手間などが理由で消費量も生産量も減少しています。魚介・干物離れが進む中、老舗の干物屋が生き残っていくにはどうしたらいいでしょうか。有限会社「奥和」の奥村太郎さんにお話を伺いました。

 干物といえば、代表格となるのはアジの干物でしょう。アジの干物の生産量の第1位は静岡県で、中でも県東部に位置する沼津市だけで生産量の約4割を占めています。富士山からの雪解け水と温暖な気候が、古くから干物づくりに適しているとされてきました。
 有限会社「奥和」は、明治の初め頃から沼津市でアジの干物をつくり始めて約150年になる老舗です。5代目・奥村太郎さんは、沼津市の干物づくりの歴史についてこう付け加えました。
 「駿河湾沿いの浜辺を見てください。たくさんの松林があるでしょう。浜へ吹き付ける潮風が強いため、風よけとして千本の松を植えたということで千本松原という名前がついています。この潮風が美味しい干物をつくるのです」

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(写真:有限会社「奥和」の奥村太郎社長)

 首都圏を中心にお歳暮、贈答の品として沼津市の干物は重宝されましたが、次第に消費量も生産者数も減少していきました。後継者不足も重なって、最盛期には300軒近くあった干物加工業者は、現在はおよそ60軒となりました。
 それでも、「奥和」は5代目の奥村さんの代になって初めて干物製造として「専業」となり、店舗をつくって直売を開始するなど、勢いがあります。奥村さんは、今の会社があるのは、4代目の父母の決断が大きかったと説明します。

昔ながらの干物がつくれなくなった

 父・4代目が活躍した時代は、生活スタイルが大きく変化した時代でした。1950〜60年代初め、冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビが『三種の神器』といわれるようになり、冷蔵庫が各家庭に次第に普及し始めます。大型スーパーも登場し、それまでの近所の個人商店で、その日の分の肉、野菜、魚を買う暮らしが大きく変化します。
 「お店の人と"今日は何がおすすめ?"などという会話がなくなりました。昔は、魚屋さんが"今の時期はこの魚に脂がのっているよ"と言われれば、プロのおすすめの魚を買っていました。しかし、それがスーパーになると、お客様が自分で商品を手に取って選ぶという『行動』になります」
 こうして、販売者が商品を売る基準というものが、製造者にとって大事な基準となりました。そしてそれは、見た目や安さでした。
 「スーパーで売られている干物は、だいたいが冷蔵ですね。でも、私たち製造者のほとんどは干物を製造したら、冷凍にして市場などに卸しています。ですから、スーパーで売られているものは、解凍されているんです。なぜかというと、冷凍品ですと店頭に並べたとき、イメージが悪いからです。とにかく消費者に手に取ってもらうには、見た目を良くしなくてはいけないから解凍して、色が悪くならないために添加物を入れます」
 それら添加物などは、本来の保存食としての干物には不要のものでした。干物の歴史は古く、文献に残っているものだと奈良時代に遡るといいます。今のように冷蔵庫がない時代だったため、塩分を多くし、腐敗菌の増殖を抑えるために十分乾燥させた、しょっぱくて硬いものだったそうです。しかし旨味成分が凝縮されていて、そのまま食べるより美味しいと日本人の食文化の中で重宝されてきました。
 「祖父に教えられ、父がつくっていたのは、天日干しで、当然、無添加の干物でした。ところが、そういうものが売れないから、つくれなくなったのです。また、スーパーからは、例えば、"1パックの中に2匹の魚を入れて、198円で売れる商品をつくってくれ"という無理難題のオーダーが入ることもあったといいます」
 こうして、奥村さんの父は、原価の安い輸入品の魚を必死で探して、保存料や見た目を良くするための添加物を入れた干物をつくらなければならなくなりました。それでも、売値から原材料費、人件費、光熱費を引いたら、ほとんど利益が残らなかったといいます。
 「このままではやっていけないと父は悩んだでしょう。かといって、沼津の魚を使った無添加の『昔ながらの干物』をつくっても、売り先がない。独自に販路をつくらなければなりませんが、それは簡単な道ではないこともわかっていました」

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(写真:奥和で人気の干物セット)

「全然美味しくない」と言われて......

 疑問がありながらの製品づくりに、転機がやってきます。当時の沼津市長から連絡があり、「とある生協の人が来て、"沼津の干物は生産量日本一というが、全然美味しくない"と言っている。一度、会ってみてくれないか」と言われたのです。
 この人たちは、1975年に沼津市が全国に先駆けて始めた、ゴミの分別収集とリサイクル活動を視察にきた方たちでした。当時の沼津市では、市内のゴミの焼却灰を埋め立てて処理していましたが、埋め立てる場所がなくなるという問題に直面していました。そこで、非常に細かくゴミの分別を行い、ゴミを減らし、資源化すべきだと主張した候補者が市長選で当選したという背景がありました。
 奥村さんの父は、この活動や、その前の駿河湾の石油化学コンビナート建設の反対運動に加わりました。
 「父には、干物屋としてどういう海を残していきたいか、大量生産・大量消費の世の中をどうにかしたいという思いがずっとあったのでしょう。それなのに、それを自身の干物づくりには反映できていなかった。でも、生協の人たちと出会って背中を押されたんでしょうね。やがて国産の魚を使った無添加の干物づくりに立ち返ったそうです」
 こうして奥村さんの両親は、これからは無添加の干物しかつくらないと決めて、それまでお付き合いがあった会社との取引を止めてしまいます。
 「今から思えば、なかなかできる決断ではなかったと思います。中央市場を通さない産直の形で販売することになりました。そして、無添加で国内産はもとより、漁場、水揚日、水揚地、生産工程に至る全ての情報を開示した干物づくりに方向転換しました。売り方は、魚の大小はあってもよいとして、量り売りでした。運送の際は、冷凍流通ですが、発泡スチロールを使わずにダンボールという徹底ぶりです。ふつうは冷凍流通の冷蔵販売で、色変わりを防ぐために酸化防止剤を使用しますから、両親がやったことがどれだけ異例のことかおわかりいただけるでしょう」
 売上げは順調に拡大し、購買者と奥村さんたちは干物工場の見学や意見交換などを通して交流を継続しています。奥和自体も発展し、奥村さんの代で市内にレストランをオープンしました。上質な炭を使って干物を焼けるとあって、地元や観光客に人気の店です。木の匂いがする空間で「100年以上もたせる家を造るためには樹齢100年の木を使わなければならない」というこだわりの設計士に発注しました。直売店を持つというのは人件費を含め、コスト面での負担はあると奥村さんはいいますが、それ以上に、お客様から直接、声を聞ける貴重な場所として大切にしているそうです。

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(写真:沼津駅から沼津港に行く道沿いにあるレストラン「和助」)

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(写真:落ち着いた雰囲気の店内。炭でじっくり焼いた干物をランチセットでいただくことができる)

今後、沼津の干物はどうなる?

 世界的な魚介の需要の高まりがあり、加えて地球温暖化による漁獲量の減少によって、魚の値段は高騰傾向です。そのような時代の中で、無添加、国産を貫いてきた奥和の干物は、高級品や嗜好品として生き残れると奥村さんは考えています。
 一方で奥村さんは、地場産業としての干物文化を残していきたいと、同業者たちと地元の小学校で干物づくり講座をしています。魚を包丁でさばくところから始まり、洗って塩汁に漬け、2時間天日干しをしたら出来上がりです。
 「祖父の時代には、干物を干すのは秋と決まっていたそうです。祖父からは、『富士山を見て明日の天気を占ってみろ』とよくいわれました。祖父は、富士山にかかる雲の形で明日の天気を占っていたそうで、"晴れる"と確信したら、市場に行って魚を買い付け、さばいて、洗って、塩汁に漬け込みます。それを次の日、天日干しにしていたといいます。今のように、干す機械がなかったので、干すのは秋だけ。私の代になってやっと年間を通して干物づくりができる『専業』になることができたんですよ。それまでは合間に農業をやったり、市場で魚を仕入れて旅館に卸したりなど、いろいろやっていました。それにしても、富士山を見て天気を占っていたなんて、今の子どもたちは笑うでしょうね。それでも、これからも沼津の子どもたちには地元の歴史として、干物という食文化を伝えていきたいです」
 また、干物は観光資源にもなりえます。地域の伝統の食文化を学ぶことは、日本を訪れる外国人にも人気のテーマです。魚をさばいて干物をつくったり、食べてみたりするというような体験型観光も、コロナ禍が明けた後、ますます期待できそうです。

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(写真:脂がのった魚を旬の時期に買い付けて冷凍保存し、通年で干物を生産できるようにしている)

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(写真:干物工場での熟練の手さばき。70歳を超えた方でもまだまだ現役だ)

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(写真:血や汚れを丁寧に地下水(海水)で洗浄する)

有限会社奥和
静岡県沼津市上香貫三貫地1182 TEL:055−934−1251
レストラン「和助」
静岡県沼津市下河原町3−8−7
販売 9:00〜16:30 ランチタイム 11:30〜14:00 日曜定休
オンラインショップ https://wa-suke.online/

(文/平井明日菜 写真/平井明日菜・提供)


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