ハーフタイム お金をめぐるモラルの葛藤

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京都・龍安寺で石庭を観たあと,建物の裏側へ回ると,縁側近くの庭に銭の形をしたつくばい(手水鉢)がある。真ん中の水穴を「口」の字に見立て,その周りには4つの漢字が彫られている。「口」を補うと,上は吾,右は唯,下は足,左は知の4文字になり,時計回りに読めば"われ ただ 足る を 知る"となる。原典は老子33章の知足者富(満足を知る者は富み)にあると言われているが,中野幸次『清貧の思想』は「足ることを知らば貧といえども富と名づくべし,財ありとも欲多ければこれを貧と名づく」と解釈している。清貧は単なる消極的な禁欲原理ではなく積極的な宇宙との一体化原理である。この思想を徹底すると"カネは捨てて世間並みの生活から縁を切れ"というメッセージに聞こえる。そのためか同書は「清貧は金儲けを敵視し,経済成長を阻害する」と批判された。しかし原始仏教が説いたのは「欲望と執着でもって富を蓄えることを認めなかっただけであり,不道徳や犯罪の原因となる貧困を撲滅するために,経済状況を改善する活動がいかに大事か」であった。すなわち「人生と社会的,経済的,政治的側面を一体とみなした」(W・ラーフラ『ブッダが説いたこと』)。...