会計基準の長い日々 第4回 銀行貸倒処理と公認会計士監査の正常化を

~銀行等監査特別委員会と銀行監査業務

 公認会計士 西川 郁生

( 40頁)

連結重視への道

IASC在任中に少し時間を戻す。IASCに参画していることで国内会計基準に関わる機会もあった。95年7月、大蔵省証券局企業財務課長に 大西だいさい 又裕氏が就任した。ちょうど会計ビッグバンが動き出すタイミングであった。大西課長は企業会計審議会とは別に企業財務懇談会を設置した。懇談会は企業財務課長の私的研究会とされ、メンバーは比較的若手が選ばれ、私もその1人となった。懇談会は、審議会の議論を進める上での論点整理の場という意味合いがあり、2年程度続いたが、審議会が稼働を活発化する中で役割を終えた。

95年12月に中嶋敬雄JICPA副会長から電話を受けた。連結財務諸表に関する米国の実務について企業会計審議会で参考人として意見陳述してほしいというものだった。大西課長からの依頼であった。連結財務諸表は、日本では1975年に制度化され、77年から導入されていた。その後、長く単体財務諸表に付随する開示として位置付けられてきた。その連結財務諸表を会計ビッグバンのテーマの1つとして企業会計審議会が取り上げていた。議論の方向性について、審議会の事務局の先棒担ぎの役割を担うということだった。

96年2...