私の会計史 theme11 ドイツ勤務(その2)

~旧東独企業民営化の悲劇

  藤田敬司

( 38頁)

ベルリンの壁崩壊

ベルリンの壁が崩れた直接の原因は,旧東独政府内の連絡ミスがきっかけだったと言われるが,潜在的には西側の文化にあこがれ,自由を求める若者の行動にあったと思われる。

1989年の夏,東ドイツから逃亡した若者4万人がハンガリー経由で西ドイツに続々と流れ込んだ。そのとき彼らを精神的に支えたのは,ライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の常任指揮者であったクルト・マズア氏であり,革命的な騒然とした社会状況において流血沙汰を回避できた彼の功績は大きい。そして,"Wir sind ein Volk"(我々は一つの民族だ)と叫ぶ"ユーフォリア"(陶酔感)がドイツ国民の間に広がり,1年足らずのうちにドイツは一つになった。

1989年11月9日:ベルリンの壁崩壊

1990年7月1日:東西通貨統一

1990年10月1日:ドイツ統一

その後,ベルリン・ドレスデン,ライプツィヒへの出張が増えた。旧国営企業の民営化を見届け,ビジネスチャンスを窺うためであった。社会主義システムは最低限の生活は保障するが,人間から創意工夫への意欲を奪い,軍隊のような専制制度に人間を縛りつけていたからだ。

旧東独の国営企業では機...