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[全文公開] アングル 米国遺産税

 税理士 川田 剛

( 95頁)

わが国の相続税が日露戦争の戦費調達のために導入された(相続税創設は明治38年(1905年)・日露戦争(明治37年~38年))のと同じように,米国の遺産税も導入の契機となったのは戦費調達のためである。

わが国の場合,導入当初から恒久税とされていたが,米国では,当初はあくまでも臨時的な税として扱われてきた。

導入及びその後の経緯等

米国でこの種の税が最初に導入されたのは1797年である。このとき導入理由とされていたのは,フランス軍(ナポレオン統治時代)の行った大陸封鎖によって米国の船舶が攻撃を受け,船荷が略奪されるのを防止する費用にあてるためというものであった。 (注)

(注)しかし,1802年,イギリスとの間で休戦協定(アミアンの和約)が成立したことから,米国船が攻撃される恐れがなくなったことなどもあって,この税は1802年に廃止されている。

次にこの種の税が再導入されたのは南北戦争(1861年~1865年)開始直後の1862年であるが,そのときも再導入は一時的なものであるとされていたため,同戦争終結後の1870年に廃止された。

3回目にこの税が導入されたのは,米西戦争時の1898年(明治31年)であるが,このときも再々導入の主たる目的は戦費調達のためであった。そのため,このときも戦争終了後の1902年に廃止された。

4回目にこの税が導入された(1916年)のも,第一次大戦に備えるための戦費調達の目的であった。しかし,このときは,部分的にではあったが,不当な富の集中防止という目的が付されていた。

恒久税への移行と州税との調整

これ以降,この税は恒久的な税として扱われるようになったが,当時は間接税の一種として位置付けられていた(同前書 4頁)。

それは,当時,連邦憲法で直接税は各州の人口に応じて課さなければならないとされていたためである。そのため,税率も全米一律ではなく,各州によって異なっていた。

そこで,連邦政府は1924年にこの税を連邦死亡税(death tax)(遺産税)という形で全国一律の税にするとともに,各州が課している同種の税を,税額控除の対象とするとの改正を行った。

その結果,多くの州で連邦遺産税と同程度まで州遺産税の税率引上げの動きが加速し,結果的に連邦遺産税の税収がほとんど無くなってしまうという事態が生じた。いわゆる州政府による連邦財源の「吸い上げ」である。その結果,このシステムは1926年に廃止されることとなった。

また,当時の税制では,贈与は遺産税の対象とされていなかったため,生前贈与によりこの税の賦課を免れる行為が横行することとなった。

そこで,1976年の税制改正で,生前贈与についても遺産税の課税対象に取り込むとともに,孫等への贈与による租税回避を防止するための措置(generation skipping taxの創設)も講じられた。