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[全文公開] アングル 富裕税論議

 税理士 川田 剛

( 37頁)

はじめに

コロナ禍によりエッセンシャル・ワーカーの重要性が再認識されるようになってきているが,この間,所得格差はますます拡大傾向にある。

例えば,米国の労働団体(AFL—CIO)が2021年7月14日に公表した資料によれば,米国の代表的な大企業500社(S&P500)の社長(CEO)の年平均報酬額は約1550万ドル(約17億円)で,前年より5%増加し,従業員報酬の平均額(メディアン)の約300倍近くになったとのことである。他方,この間,従業員の平均報酬は,約1%しか増加していなかったとのことである。

しかし,所得格差以上に問題なのは,所有資産の格差である。

米国における資産格差の現状

コロナ発生前のデータではあるが,米国議会予算局及び上下両院合同租税委員会(JCT)が2016年8月に公表したデータによれば,0.4%の世帯で米国全資産の10%を,5%の世帯で約47%を保有しているとのことである (注)

(注)ちなみに,それらの富裕層が所有している資産の内訳は次のようになっている。

資産形態別所有資産 (単位:兆ドル)

資本資産

(金融資産) ミューチュアル・ファンド 3.9
債券 1.1
株式 3.6
(非金融資産) 私的所有の事業用資産 12.2
非居住用不動産 8.5
居住用不動産 20.6
合 計 50.0

その他の資産

(金融資産) 売掛金等勘定 3.5
租税償還退職勘定 10.1
その他 3.9
(非金融資産) 自動車・宝石・骨董等 2.9
合 計 20.4

(CBO/JCT資料より抜粋)

このような資産格差の存在は,政治的にも問題となってくる。

現に,先般行われた大統領選挙の前段階で行われた民主党の大統領指名に立候補したウォーレン候補は,富裕税の創設を主たるキャンペーンテーマのひとつとしていた。

ちなみに,議会予算局及び上下両院合同租税委員会の資産保有に関するデータによれば,税率1%で,毎年約7000億ドル(約80兆円),税率0.5%でも毎年3500億ドル(約40兆円)の税収増が期待できるということになる。

もちろん,それはあくまでも正確な財産の把握ができるという前提の下での政策であり,実際の税収はこの数字をかなり下回ることになると思われる。しかし,それでもかなりの税収増になることはたしかである。

この案は,同候補がバイデン候補に敗れたため日の目をみることはなかったが,現在でも有力なアイデアとして一部の学者から支持されている。

わが国における資産格差の現状

米国ほどではないにしても,わが国でも資産格差が拡大傾向にある。

例えば,ブルームバーグの2021年7月14日付「世界の大金持番付表(Billionaires Index)」によれば,GAFAやテスラのオーナーほどではないにしても,わが国から,柳井社長(ユニクロ)が374億ドル(約4.2兆円)で37位に,キーエンスの滝崎元社長が307億ドル(約3.5兆円)で45位に,日本電産の永森会長が91億ドル(約1兆円)で290位に,ユニ・チャームの高原社長が79億ドル(約8,700億円)で453位に入っている。

また,データは異なるが,例えば,フォーブス紙が2021年4月6日に公表した資料では,ソフトバンクの孫社長の資産総額は454億ドル(約6兆円),ユニクロ柳井社長のそれは441億ドル(約4.9兆円)になるという別の記事もある。

もし,それらの人達に税率1%で富裕税が課されるとすると,ここに紹介された人達のみで,単純計算で約1,500億円((4.2+3.8+0.9+6)×1/100)の税増収となる。

OECD諸国における富裕税

OECDで,個人富裕税に関するデータを取り始めたのは,1965年からである。当時この制度を採用していたのは6ヵ国に過ぎなかった。その後徐々に増加し,1985年には11ヵ国,1995年には12ヵ国となった。

しかし,この時をピークに減少に転じ,2021年1月1日現在では,コロンビア,フランス(一度2018年に廃止されたものの,不動産税として再スタート),ノルウェー,スペイン及びスイスの5か国のみとなっている。また,税率は,国によって若干差はあるものの,多くの国で1%前後となっている。 (注)

(注)なお,欧州諸国における富裕税の動向についてより詳細を知りたい場合は,国立国会図書館の山口和之調査官による「富裕税を巡る欧州の動向」(レファレンス 平成27年3月号)を参照されたい。

わが国にもあった富裕税

わが国でもかつて富裕税が存在していた時期がある(昭和25年~28年)。

同税は,シャウプ勧告に基づき,当時,最高税率が90%に達していた所得税の税率引下げの代替財源として導入された。ちなみに,富裕税という名称は,勧告で導入すべしとされていたNet Wealth Taxをそのまま和訳したものだった。

課税対象は,国内に所在する不動産,動産,現・貯金等で,それらの財産が500万円を超える財産に対し,0.5%から3%の超過累進の税率によっていた。

当時想定されていた納税者数はわずか410人だった。

〈参考〉富裕税の税率表

500万円超 0.5%
1,000万円超 ~2,000万円 1.0%
2,000万円超 ~5,000万円 2.0%
5,000万円超 3.0%

なお,富裕税の課税対象とされていた資産のうち宅地,田畑,家屋等が全体の4割強を占め,有価証券(出資を含む。)が約4分の1となっていた。それに対し,預貯金はわずか3.3%にとどまっていた(それは当時,貯蓄推進運動が展開されていたことによるものである。)。 (注)

(注)このように,当時の資産構成は現在と大きく異なっている。ちなみに,平成30年分の相続税申告データによれば,現・預貯金は33.7%と全相続財産(4,457億円)のトップを占めている。次いで不動産が30.0%,有価証券23.9%となっている。

(税収等)

昭和28年5月31日に公表された国税庁資料(昭和27年分)によれば,富裕税の税収は,納税者数で4.79万人(当初の予想の約100倍),課税財産総額で5,466億円(納税者1人当たり723.2万円),税額22.7万円となっていた。

〈参考〉昭和25年分富裕税の納税者 (単位:百万円)

氏名 住所 職業 納税額
石橋徳次郎 久留米市

日本ゴム会長

(現ブリヂストン)

246.5
石橋正次郎  〃

日本タイヤ

(現ブリヂストン)

232.3
住友吉左衛門 芦屋市 無職 197.6
古谷博美 宇部市 鉱業 180.8
石橋幹一郎 久留米市

日本タイヤ

(現ブリヂストン)

179.5
伊藤豊次 札幌市 伊藤組土建 165.4
乾 豊彦 芦屋市 乾汽船 151.9
御木本幸吉 三重県 真珠養殖 150.1

(出所:毎日新聞から一部抜粋)

なお,税収は当初20億円程度となっていたので,これらの人達のみで約7割近くを占めていたことになる。

〈参考〉OECD諸国における富裕税

税率 課税ベース
コロンビア 1% 50億COP(140万USドル)超の資産
フランス 0.5~1.5% 資産額80万ユーロ超(約100万USドル)の不動産
ノルウェー 地方税0.7% 国税 0.15% 150万NOK(18万USドル)超の資産
スペイン 0.2~3.75%の累進 地域によって異なる。マドリッドの場合は全額負担
スイス カントンによって異なる

(資料出所:PwC Worldwide Tax Summary)

富裕税廃止の理由

この税は,昭和28年に廃止となった。その主たる理由は,表面的には対象財産の把握が困難であるという執行面であるとされている。

近年における所得格差の拡大と富裕税導入論議

2021年7月23日付けの朝日新聞によれば,1億円超の役員報酬を得ていた者が544人。また,同日付の日本経済新聞によれば,資産規模1,000億円超のいわゆる「株長者」が24人おり,それらの人達の資産総額は約10兆円に達していたとのことである。

また,別の記事によれば,上場会社全体の配当平均利回りは2%超になっているとのことである。

これらの記事が正しいとすると,上場会社の平均利回りが約2%強の約半分(税率1%)を富裕税として徴収するということになると税率1%でこれらの人達だけで約1,000億円の税収になる。

所得格差の拡大が大きな関心事項として再浮上している昨今の状況等を踏まえると,富裕税の再導入の可否について再度議論する価値はあると思われるが如何なものであろうか。

ちなみに,執行上最大の問題とされていた財産の把握は,マイナンバーの普及や財産債務調書制度の導入,税務署におけるIT化の進展により相当程度まで解消されている。

最近におけるOECDでの富裕税論議等もあり,わが国でも再度議論すべき時期に来ているのかもしれない。