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[全文公開] アングル IRSの政治的中立性

 税理士 川田 剛

( 53頁)

はじめに

わが国の場合、公務員については国民全体の奉仕者とされ、幹部職員を含め政治的任用は行われていない。

それに対し、米国では、各省庁の幹部職員については時の政権が外部から任用を行うこととされている。いわゆるPolitical Appointeeと称されるものがそれである。それらの職員の中には、長官等を始めとするIRSの幹部も含まれている。(注)

(注)かつては、税務署長も政治的任用とされていたが、弊害が大きいということで1950年代に廃止になっている。

そのため、政治家に対する税務調査等に影響を及ぼしているのではないかという見方もなされている。

しかし、実際にはそのような事実はないようである。

例えば、第39代の副大統領Spiro Agnewは、ニクソン大統領とともに1969年に就任し、1972年の大統領選挙で再選された。しかし、1973年に任期途中で辞任している(後任は後に大統領となったG.Ford)。その要因となったのが脱税罪での告発である。

そこで、今回はこの件について紹介してみたい。

S. Agnew元副大統領の略歴

第39代の米国副大統領Spiro Agnewは、1918年Baltimore生まれで、1937年にJohns Hopkins大学(化学専攻)に入学、その後、化学よりも法律学に興味を持ち、Baltimore大学に転学、同大学卒業後1942年に結婚、その後1944年3月に召集を受け欧州戦線に参加(有名なBulge作戦参加後ドイツに転戦)その時の戦功によりブロンズ勲章を授けられている。

戦争終了後Agnewは労働法専門の弁護士として生活を送っていたが、1951年に朝鮮戦争で再召集され1952年に帰還した。

(政治的キャリア)

政治的キャリアとしては、民主党員としてスタートしたものの、1962年の郡長(County)選挙で落選した。その後、11月に行われた選挙では、共和党員として再出馬して当選、1966年にメリーランド州知事となった。

知事になる前の1964年の共和党の大統領選指名選挙時にはロックフェラー財閥のNelson Rockefellerを支持。その後行われた1968年の大統領の選挙キャンペーン時にも、同人を支持していた。しかし、1968年3月、同人が出馬取止めを表明したことから、R. Nixon支持に切り替え、最終的には彼の下で副大統領候補に指名されて当選した。また、1972年には再選された。

ちなみに、同人は、副大統領時に従前のリベラル派的色彩から一転しNixon以上にNixon的といわれるほどの強硬派として名をはせていた。

脱税罪での告発

ところで、脱税発覚の契機となったのは、副大統領が郡長及び州知事時代における業者等からのキックバックを受領していたことである。この事案を担当した検事は、当初は過去の問題であり、時効が成立しているとしていたが、司法取引に応じた業者から、Agnewが副大統領に就任してからも、州政府との取引につき、5%のキックバックを支払っていたとの証言を得たため問題が表面化した。

また、捜査の過程で、選挙キャンペーン期間中、後援団体等(スロットマシン協会等)から得ていた政治献金2万ドル、7.5万ドル及び20万ドルについて申告していなかったことも明らかになった。

1973年8月には、同人自身がプレス・コンファランスで無罪を表明し、強気の姿勢を貫いた。しかし、世論の強い反発等もあって、1973年10月8日に大統領に対し、副大統領職を辞任する旨の意向を明らかにした。

その後10月10日にBaltimoreの連邦地裁に出頭し、1967年以降の脱税罪を認め、争わない旨の宣誓(Nolo contendere)を行ったことから有罪が確定し、1万ドルの罰金と3年間の保護観察処分を受けた。(注)

(注)あわせて、副大統領職も辞任し、後任には後に大統領となるGerald Fordが就任した。