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[全文公開] アングル 大統領令(Executive Order)

 税理士 川田 剛

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▶はじめに

トランプ大統領による関税賦課で有名になった「大統領令(Executive Order)」であるが、わが国に対して発動されたものは、それらよりはるかに古く、フランクリン・ルーズベルト大統領時の昭和15年(1940年)のことである。

▶日本を対象とした大統領令

その1 くず鉄の対日輸出制限に関する大統領令

太平洋戦争開始直前、日米間の緊張が高まっていた昭和15年7月、ルーズベルト大統領(当時)は、輸出統制法(Export Control Act. 1945)を根拠として「くず鉄」の対日輸出を制限する大統領令(第8629号)を発令した。

その目的は、日本へのくず鉄の輸出を制限することにより、日本の兵器製造に打撃を与えるということであった。

この制限は、その後さらに強化され、翌年1月に出された大統領令(第8734号)では、対日輸出が全面的に禁止されることとなった。

その2 対日資産凍結に関する大統領令

次いで出されたのが、昭和16年(1941年)7月の「対日資産凍結令(大統領令第8832号)」である。

この措置は、ドイツ軍のフランス攻撃にあわせて行われた日本軍による仏領インドシナ(当時)への軍事侵攻に対する対抗措置としてなされたものである。

この措置により、日系企業や日系人が米国内に有している資産が全て凍結され、利用できないこととなった (注)

(注)この種のやり方は、現在でも頻繁に用いられている。例えば、ロシア資産の凍結やイラン資産の凍結などがその典型例である。

その3 石油の対日輸出禁止に関する大統領令

在米資産凍結とほぼ同じ時期に出されたのが、日本への「石油輸出禁止令(大統領令第8843号)」である。あわせて、当時オランダ領だったインドネシアからの石油輸入も禁止されたことから、わが国の石油輸入はほぼ全面的に途絶えることとなった。

「石油の一滴は血の一滴」というスローガンが叫ばれたのもこの時期である。

その4 開戦後の措置~強制収容に関する大統領令

このような各種の対日制裁により追い込まれたわが国は、1941年12月8日に太平洋戦争に突入することになった。

開戦当初における日本軍の快進撃と米軍の敗北を受け、日本軍による米本土上陸を恐れたルーズベルト大統領は、「必要がある場合には、強制的に外国人を隔離することができる」として、1942年2月19日、大統領令第9066号を発令した。

これを受けて、西海岸各州(カリフォルニア、オレゴン、ワシントン及びアリゾナ)と当時は米国の準州だったハワイから、ユタ州やワイオミング州、コロラド州など内陸地帯への強制移住が開始された (注)

(注)ただし、ハワイ州については対象者が多すぎたため、任意とされた。

対象者は当初は日本人だけだったが、米国で生まれた米国市民である日系アメリカ人(後に運輸長官になったノーマン・ミネタ氏や画家のイサム・ノグチ氏など)も含まれていた。

しかもこの措置は、緊急性ありということで、多くの人達は、準備する間もなく着の身着のままといった状況だった。さらに、財産没収という措置までついていた。

▶憲法との関係

トランプ関税については、周知のように、後日、連邦最高裁判所で、違憲という判決がなされた。しかし、日本向けに出されたこれらの大統領令については、1942年に法廷で争われたものの、違憲ではないとの判決が出されている。

(注)なお、ハワイ選出のダニエル・イノウエ上院議員らによる努力等もあり、1976年2月、フォード大統領により大統領令第9066号は廃止された。また、1988年10月にレーガン大統領、1992年にブッシュ大統領による謝罪と賠償金の支払いがなされている。

バイデン大統領は、大統領令9066号発令から80年目の2022年2月18日に発表した公式声明において、「アメリカの歴史の最も恥ずべき章の一つだ。取り返しのつかない被害を受けた日系人への、連邦政府の公式謝罪を再確認する」、「80年前に日系アメリカ人を収監したことは、人種差別や恐怖などの増長を許したとき招くことになる悲劇的な結果を今日の私たちに思い起こさせる」としたうえで、『ベインブリッジ島日系アメリカ人排除記念碑』から引用した「二度とないように」という言葉を日本語で記し、過ちを繰り返さないことを約束すると同時に、国内における人種差別問題に向き合う決意を強調している。