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[全文公開] Topics Plus No.1 私の税務史~国際税務業務とのかかわり~

 税理士 遠藤 克博

( 70頁)

執筆者経歴

東北大学経済学部卒業、1978年 東京国税局入局。1990年 国税庁調査課からロンドン長期出張、1997年~1999年 税務大学校研究部教育官、2000年~2003年 東京国税局調査第一部国際調査課課長補佐、2003年~2006年 税務大学校国際租税セミナー担当教授。2008年 税理士登録、2009年~2020年 青山学院大学大学院国際租税法客員教授、2010年~ 上場企業の社外役員。

主な著書「海外取引の税務Q&A」「税理士のための国際税務の基礎知識」(税務研究会)、「BEPS文書作成マニュアル(共著)」(大蔵財務協会)など著書多数。

編集部より

この新コーナーは巷で話題のトピックスや経理マンが直面している実務上の課題などを取上げて解説します。また、時にはコラムも交えた掲載を予定しています。

これらの執筆をご担当していただくのが、非常に分かりやすい解説で定評のある税理士・遠藤克博氏です。同氏は元国税職員としての豊富な専門知識と調査経験をお持ちであり、ご退官後も大手企業の税務顧問をされる傍ら、青山学院大学大学院客員教授を務めるなど精力的に税務業務に従事されてきております。

本誌においては、2013年1月号から2019年12月号まで丸7年間、「 3分で読めて役に立つ! ビギナーのための国際税務 」を執筆されており、大変ご好評をいただきました。

本コーナーの記念すべき第1回目は、ご自身の過去を振り返りながら自己紹介を兼ねての内容となっております。今後は適時執筆されますのでご期待下さい。

1980年代、国際取引調査は国内取引と一体で行われていた

月刊国際税務が創刊されて、40年余りの歳月が流れました。企業の国際税務に関するコンサルティングを生業にする税理士である筆者の暦を振り返ると、懐かしい出来事が走馬灯のように脳裏をよぎります。筆者が国税の仕事に身を置いた時期が、ちょうど本誌国際税務が税務大学校の図書館の書架に並び始めた時期と重なります。

採用1年目の経験

国税専門官は、当時、国税局に採用された1年目に、署の法人税第一部門の内部事務を経験しました。国税庁の人事課は、よく考えたものです。税務署の法人税第一部門を経験させることで、社会人1年目の新人に、法人税事務の全体像を見る機会を与えるとともに、管理部門、調査部門、資料情報部門等に、どのような職員が働いているかを見聞きする機会を与えてくれたのです。

昭和の時代、お役所でも民間でも、高度経済成長の勢いの下、9時―5時(?)の仕事の厳しさは猛烈でした。税務署では、5時まではもちろんですが、5時以降の鍛錬が一層猛烈だったのです。

少人数の女性職員とのデートにあぶれた独身寮に居を構える先輩は、執務終了を待ちかねて、「おい、行くぞー」の号令一下、焼酎のボトルが入っている行きつけの居酒屋に突撃です。ツケがたまっていても、いつもにこやかなおばちゃんが待つ路地裏のおでん屋へ(信用度が高いのは職業のせいでしょうか?)。しばらくするとおばちゃんの姪だというアルバイトの娘が出勤します。何回か通ううちに、「先輩のお目当ては...」と気が付き、そうか、「俺は料理のダシ?なんだ!」と合点がいきました(割り勘では、先輩の権威が保てないということで6:4の会費にしてくれました...公務員給与は当時も安かったのです)。

調査先で税理士に論破されて落ち込んでいた先輩も、酔いが回ると明るさを取り戻し、二次会の「小さなスナック」に向かいます(立ち直りが早く、いい性格です)。

7時半は、店は仕込み中で、早い客でも8時過ぎの来店です。この時間であれば、ママにとっては売上に貢献しながら接客の必要がない客は大歓迎でした。先輩にしても、カラオケが独占できるメリットがありました。30半ばまで、夜の付き合いを欠かしたことがなかった先輩ののどは、それは大したものでした。ギターを抱えたら、プロの流しといってもいいくらいです(当時は、横浜界隈にもフリーの流しが少なからずスナックを回っていました)。

8時少し前に、先輩お目当ての女の子がご出勤、待ってましたとばかり、サントリー角瓶の水割りを作って、彼女を席に招き、デュエットが始まりました。後輩は、二人の歌声に合わせて、「ご両人」とか「かわいい」とか合いの手を入れなければなりません。当時、「あんたが大将」という歌が流行りましたが、場面場面で「大将」を演ずる仲間を周囲が盛り立てること、これがチームワークを保ち生涯付き合える友情を育む秘訣なのです。

採用2年目に部門配置

2年目に、筆者は貿易業の調査を担当する部門に配置されました。幼少の頃、満州で育ったという統括官から指令を受けた事務機器の輸出を行う会社の調査に、指導担当の上席調査官が同行してくれて、調査の進め方、帳簿調査、反面調査、金融機関調査などのやり方を教えくれました。その事務年度、上席は税務署の勤務でしたが、数年前までは、査察部のエースと呼ばれ、人格、能力ともに優れ、周囲の方々から尊敬を集める人物でした。事故で体を壊し、税務署の調査を担当していましたが、調査ノウハウは最高水準のものでした。上席はそのノウハウを余すところなく、手取り足取り、教授してくださいました。この出会いは、調査担当を20年間やった筆者にとって、かけがえのないものになりました。

当時の納税道義の水準は決して高いとはいえず、税務調査で申告是認通知を受け取る会社は数パーセントにすぎませんでした。不正計算も横行しており、3割ほどの事案で重加算税が課されていたと記憶しています。税務署の事務運営の重点は、「高額、不正、重点主義」といわれ、調査手法も現物確認、現況調査など、かなりアグレッシブな手法が採用されました。

1990年代、国際取引調査が表舞台に現れた

様々な業種、業態の税務署所管法人の調査を経験して、国税局調査部に異動になりました。国税局では石油化学製品製造業、貿易業、外資系企業等の調査を担当し、国際調査課で国際取引がある法人の調査管理を勉強している時期に、国際取引に関係する税制の整備が進みました。

内国法人や居住者は、国際取引を行う場合に、国際税制が関係してきます。一方、外国法人、非居住者については、外貨建取引、資産・負債の円換算、国内源泉所得の計算といった基本事項そのものが国際税務です。

国際取引課税の特徴

国際取引課税には国内取引課税と比べて、次のような特徴があります。①取引の証拠資料が外国語で記載されている、②外貨建て取引が多い、③日本の税制、外国の税制、租税条約が関係する。内外の税制は毎年のように改正が行われますので、調査官も税理士もその変化に柔軟に対応することが求められます。そこで、実務に不可欠な情報の入手方法に着目してみましょう。

税制改正や法令解釈などの情報が出版物となるケースは各国とも多いと思われますが、調査事例などが紹介される出版物は、米国を除くと日本が最も盛んなのかもしれません。月刊国際税務の40周年記念号において、川田剛先生が本誌創刊時の武田昌輔名誉教授、小松芳明名誉教授のご貢献をたたえておられましたが、租税法が学問として注目され、その中でも国際課税制度がビジネスにおいて避けては通れない存在となった背景には、先人の皆様方の血のにじむような研鑽とご努力があったものと推察します。

経験豊富なセミナー講師陣

筆者は1980年代に、税務大学校の国際取引調査専門家コースであった国際租税セミナーを受講しました。当時の講師陣が武田名誉教授、小松名誉教授、川田教授でした。国際租税セミナー特別コースは全国から15名が選抜されて、半年間の研修を新宿区の若松町で受講するものでしたが、今でも鮮明に思い出される懐かしい場面があります。

小松名誉教授の講義は、先生の名著「租税条約の研究」をテキストにOECDモデル条約から二国間租税条約の各条項を読み解けるようにすることを目標にした難しい内容のものでした。地方局選抜の若い研修生が前方に着席していました。講義についていくのに大変苦労しているのが見て取れました。小松教授は租税条約の中でも思い入れの深い条項の解説に熱弁をふるっておられました。興が乗ったタイミングで、小松先生がその研修生に質問を投げかけました。先生は質問の内容が、たった今解説された事項であったため、即答を期待していたのでしょう。一方、その研修生は講義内容が理解できず、繰返し襲ってくる睡魔にどうにも耐えきれなかったようです。焦点があっていない研修生の目に気づいた先生は、「エイヤー」とばかりに、研修生の肩口をかすめるチョークの一投を投じました。

驚いたのは、居眠り研修生と周囲の仲間たちでした。中学、高校以来、チョークの一投を目撃したことはありませんでしたから。

帰りがけに、曙町の赤ちょうちんで飲みながら、研修生仲間の小松先生への尊敬の念はますます高まりました。租税条約の研究を通して、日本の国際課税制度の遅れ、ひいては日本経済の損失を目の当たりにしていた小松先生は、将来の夢を国際租税セミナーの研修生に賭けていたのです。

明治維新のころ、政府は永年の間、不平等といわれた条約の条項の改正に苦労を重ねました。租税条約はどうであったのか、小松名誉教授は主税局において条約締結の仕事にも深く携わっておられたと聞きます。理想と現実の間で熱く思うところがあったのだと思います。

国際租税セミナーの講師陣には経験豊かで法令の解釈、執行に精通した内部講師のほかに、租税法の金子宏 東京大学名誉教授・政府税制調査会会長の中里実 東京大学名誉教授をはじめとして、綺羅星のごとく、税務、会計、会社法等の先生方がおり、また、大手商社に長年勤務された貿易実務、外国為替の講師、大手金融機関から派遣された国際金融の専門家など、極めて贅沢な講師陣がおられました。

進展する税務コンプライアンスの国際協力体制...友情はスナックで花咲く

「国内取引と国際取引を比較して、調査手続きにおいて決定的に違う点は何でしょうか?」

「そうです。反面調査が難しいという点です。」取引の実在性、取引の日付、内容、金額の正確性に疑義がある場合、国内取引では反面調査を実施することで、真偽の確認が可能です。ただし、反面調査には時間と労力がかかります。

相手国税務当局との情報交換

国際取引の場合は相手方から取引に関する確認を取りたいケースが把握されると、租税条約に基づく情報交換制度を活用し、相手国税務当局に文書等で依頼を行い、取引の真偽を確認することができます。国税庁の報道発表の中に、事務年度ごとの情報交換の依頼件数、被依頼件数、効果があった事例等が開示されています。

筆者は国際調査課で調査官の海外派遣事務を担当しました。海外出張(旅行)が初めての職員が多い中、出張中の移動・宿泊・安全を手配する仕事でした。日本企業の海外支店、又は完全子会社等に対して、調査官が海外に出向き、取引の真偽の確認等を行うことがミッションでした。相手国税務当局との相互信頼の下で、永年かけて培われてきた協力体制です。租税条約に基づく情報交換の迅速化を図るために喫緊の事案について、調査官が取引相手国に出向き、相手国税務当局の協力の下、取引の確認を行ったケースもあります。

各国担当官との交流

英国の調査担当官が日本に来たケースもありました。日英の租税条約に基づく情報交換が実を結び、英国で巨額な脱税事件が解決したため、担当官が来日したのです。筆者は英国に2年間長期出張した経験があったため、英国の調査官の夕食会のお相手を命じられ、日本流で交友関係を結びました。

英国駐在は1992年ごろですが、外国人調査官(ブラウン氏)の来日は、2000年前後だったため、もうすっかり語学力が衰えてしまい、ツアーガイドのように英語で会話することは、耐えられない状況でした。そこで、横浜の先輩に紹介された神田のスナックに、強面の外国人調査官を案内するという作戦を実行したのです。案の定、そばについてなにくれとなく世話を焼き、水割りを作ってくれる女の子を前に、ブラウン氏は相好を崩し、中学校の英語の授業のような楽し気なやり取りを始めました(シメシメ)。

ちなみに、ロンドンにはパブが角々にあり、皆さん立ち飲みで、つまみもなくぬるいビールを飲んでいますが、ソファーに腰を落ち着かせて、女性が話し相手をしてくれる店は見かけませんでした。ブラウン氏はえらく感激したようです。イギリスでは、日本女性の評判が非常に高く、欧州人の憧れなのだそうです。一方、日本の男性はというと、英国女性の話題に上ることはなく、英国経済が立ち直る手助けをしたワーカホリックといったイメージでした。

ドイツの機械化専門官が東京国税局の機械化システムを視察に来たこともありました。この時も、旧知の調査開発課の機械化専門官の方と、居酒屋、カラオケコースで親交を持ちました。どうやら、お堅いイメージがあるイギリス人、ドイツ人も日本酒、カラオケ文化は大好きなようです。機械化専門官の方とのご縁は、税理士となった今でも続いており、貴重な財産となっています。

その後、日本、米国、カナダ、オーストラリア、英国、ドイツ、フランスの7か国の税務調査官がシアトルに集まり、各国の調査事例の紹介と国際協力の促進を話し合う国際会議がありました。現在は20か国に拡大しているそうです。各国税制をかじった方は予想がつくと思いますが、いわゆる直間比率は、米国や日本は直接税の比率が高いのに対して、欧州諸国は間接税の比率が高くなっています。また、賦課課税制度に近い国もあります。そのため、脱税事例や、租税回避事例などは、日本と米国が主役になるのです。法人税、所得税の臨場による税務調査は環太平洋の4か国が制度化されており、その頻度は、調査体制、調査担当官の人数等からも、国税庁とIRSが主体という状況でした。

申告納税制度、任意の税務調査、多くの調査担当官を有する組織を見ると、日本は、税務の執行において調査のプレゼンスが高い国といえます。「7か国調査官会合」は、その後毎年継続し、翌年のゴールドコースト、翌々年の東京の合計3回の会合に出席させていただきました。

次号より適時トピックスを解説していきます。