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[全文公開] アングル 国税庁の発足

 税理士 川田 剛

( 104頁)

▶はじめに

以前、この欄で日本国憲法の成立経緯について紹介したことがある(Vol.43, No.6)。

そこでは、1946年当時米国内では戦後の日本の統治体制に関する議論のなかで、天皇制廃止等に関する議論がなされていた(SWNCC-228)。その情報を入手した連合国最高司令部(General Headquarters(GHQ))のマッカーサー元帥は、日本国政府に対し先手を打ってマッカーサー・ノートと称する3原則を日本側に提示した。

そこには、基本的に天皇制が維持されることが明記されていた。

しかし、それでも日本側が大幅な改正に向けて迅速な対応をしなかったことについては、そこ(Vol.43, No.6)で述べたとおりである。

同様のことは、国税庁発足の経緯についてもみられる。そこで、今回は、国税庁発足の経緯や背景等について米国側の視点を中心に紹介してみたい。

▶GHQ指令

年輩の方は記憶しておられるかも知れないが、第二次大戦で敗戦国となった日本の統治を任されたのは、「連合国軍最高司令部(General Headquarters)」であった。

そして、そこから出される命令、いわゆる「指令(Directive)」は、法律以上の権限を有するとされていた (注)

(注)なお、日本国憲法草案については、事柄の重要性にかんがみ、「指令」という形ではなく、マッカーサー元帥の個人的考え方をまとめた「覚書(Note)」という形で日本側に提供され、それをふまえる形で日本側から草案が示され、それにGHQが修正を加えたものが現行憲法となっている。その間の経緯については冒頭の文章を参照されたい。

ちなみに、国税庁の発足は、いくつか出されたGHQの「指令」のうち最後のものである。

この点だけからみても、GHQがこの問題をいかに重要視していたかということがわかる。

この件について、マッカーサー元帥は、部下であり古くからの友人でもあったハロルド・モス氏に対し、「国の発展には税制・財政の確立、整備が最も重要であり、これらが整備されれば、30年から40年後に日本は一流の国になる。」と述べたとのことである(H.モス氏の租研における講演及び平成2年9月来日時の国税庁幹部との懇談会での発言)。

▶ハロルド・モス(Harold Moss)とマッカーサーとの関係

H.モス氏は、1913年4月25日にアラバマ州で生まれ、1932年に軍産業大学卒業と同時にIRSに就職、それから5年後の1937年に、IRSの極東地域担当(中国、日本、フィリピン担当)としてフィリピンのマニラに着任し、当時フィリピン政府の軍事顧問としてマニラに滞在していたマッカーサー元帥と面会した (注)

モス氏本人の述懐によれば、同元帥はモスに対し「なぜ君のような若輩の者が米国の財務省という重要な任務を担ってフィリピンに駐在しているのか。」と質問したとのことである(1990年国税庁の招きにより来日した際の本人発言より)。

(注)ちなみに、その時空港に出迎えに出たのが、当時同元帥の副官を務めていたアイゼンハワー氏(後の米国大統領)だった(同前)。

第二次大戦直後の1947年、同氏は在韓米軍からの要請を受け、韓国政府の財政・税務の顧問として赴任することとなった。そこで、旧知のマッカーサー元帥が東京にいるということで、あいさつのため立ち寄り、旧交をあたためた。韓国赴任後2、3ケ月したころ、マッカーサー元帥から「至急東京に来るように」との電報があり、来てみると同元帥から、次のような指示を受けた。

「日本を発展させることは、自分の責務であるから、その基礎となる財政及び税制、税務行政をしっかりしたものにしなければならない。ついては、貴君に是非日本に来てもらいたい。」 (注)

(注)この話には前段がある。当時深刻な財源不足に対応するため、いくつかの税収増対策が講じられていた。しかし、そのためには執行を担当する税務行政面の強化が不可欠であると考えたマッカーサー元帥が、米国のIRS長官あてに旧知のモス氏を日本に派遣してくれるよう要請する手紙を出していた(1947年11月1日付)。

それに対し、モスは「自分は文民なので、元帥の部下である将軍達といろいろ問題が生じた場合、自分の手に負えない。」としてことわった。しかし、同元帥は「私のオフィスのドアは君のために常に開けておくから、何か問題があれば、何時でも言ってくるように。」といわれたため、その職務を引き受けることになったとのことである(軍日報1948年4月)。

▶国税庁創設

当時の税務行政は、大蔵省本省内にある主税局の指揮の下、全国11の財務局(国税局の前身)が税務署の実質的な監督権限を有していた。他方、法令の解釈、執行等は各財務局が独自の判断で行っていたことから、執行の統一性を欠いていた。

そのため、執行を全国的に統括する必要性があると考えたモス氏は、国税庁を主税局から分離独立させるべきであるとして、当時の主税局幹部と議論し、GHQを含めてほとんどの賛成を得たものの、政治的な反対が多かった。そのため、池田蔵相(当時、後の総理大臣)からも、実施は困難である旨の回答が寄せられたとのことである。

そこで、GHQから「国税庁の創設を指令する」という形で収拾が図られた。

GHQがこの指令を出すためには、3人の将軍の合意を得る必要があった。そこで、モス氏はマッカーサー元帥に直接報告し、同元帥から了解を取り付けるという形でこの指令が出されることになったとのことである(資料出所:同前)

連合国最高司令官指令(Supreme Commander for the Allied Powers Directive)

連合国最高司令官から日本国政府あてに出される指令で、全て文書で出され、番号(Index Number)が付されている(SCAPIN)。

著名なものとしては、日本国の領土範囲について定めたSCAPIN―677や農地改革について規定したSCAPIN―411「農地改革ニ関スル覚書」などがある。

ちなみに、国税庁創設について規定した指令は、次のような内容のものとなっている。

「日本政府の国税行政の改組」(昭和24年5月4日付GHQ指令(SCAPIN―2001)

一 1948年12月16日付の経済安定九原則は、日本政府に対し、他のことがらとともに、「徴税計画を促進強化し、脱税者に対しては迅速且つ広範囲に亘る活発な刑事訴追を確実に行うこと」を企図する措置を採るよう指令した。これ等の目的及び公正不偏な税務行政の目的は、高い道徳心と専門的資格を持った職員を出来るだけ備えた専門的税務機構を確立することによって最も効果的に達成せられる。

二 これらの目的を達成する計画の一部として、日本政府は可及的速やかに次の事項のために必要な措置をとらなければならない。

(イ)国税行政のための外局として、大蔵省内にTax Administration Bureauを創設すること。この局は、regional and local officesに対して完全な権限を有し、且つ左の(ロ)に掲げるものを除きすべての国税事務に関し責任を負うべきものである。

(ロ)現在の主税局の有するすべての税務機能は、租税立法及びこれに関する調査関係の機能を除き新局へ移管すること。右の除外された機能は大蔵省の内局たるTaxation Research Bureauに残されるべきである。

(ハ)財務局から税務に関係なき一切の行政事務を分離し、財務局を外局たるTax Administration Bureauのregional tax officesであり、且つその重要な部分であるように再組織すること。

(ニ)財務局の税務に関係なき一切の機能は、地区的地域的行政の必要に随い、且つ政府活動の簡素化及び整理の方針に従って大蔵省が立案する機関に移管すること。

(ホ)現在、主税局内にある税関部は大蔵省の内部機構に残置すること。

(ヘ)有能な、資格のある且つ訓練された税務職員を出来る限り備え、そして政府の税法を活発且つ公正に管理施行するために適当な人員を揃えること。

三 本覚書の範囲に属する事項について、連合国最高司令官司令部経済科学局と大蔵省と直接連絡することを認める。