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[全文公開] アングル 青色申告制度創設の経緯

 税理士 川田 剛

( 114頁)

▶はじめに

現在ではあたり前となっている「青色申告」制度であるが、どうして所得税申告書の第1表は青色なのであろうか。

黒字申告を期待するなら「黒色」の申告用紙でもよかったのにそれを採用せず、青色にしたのはどうしてなのだろうか。

ちなみに、お隣りの韓国では、同じような制度として「緑色」の申告書(グリーン・リターン)が用いられている。

そこで、今回は、わが国で青色申告制度が導入された経緯、また、どうして申告書の第1表が青色になったのかについて改めて見てみることにしてみたい。

▶制度創設の背景

現行の青色申告制度が設けられたのは、昭和25年1月1日である。そして、その背景にあったのは昭和24年9月15日に出された第1次シャウプ勧告だったとされている。

しかし、実際には、シャウプ使節団の訪日に先立つ昭和24年5月4日の占領軍総司令部指令(SCAPIN-2001号)で、税務行政改革の一環として納税者の自発的納税道義(Voluntary Compliance)の向上の必要性について述べられていた( 11月号本欄 参照)。

そのための具体策として打ち出されたのが青色申告制度である。

▶青色申告制度導入の背景 - モス氏の回顧

この点について、青色申告制度創設40周年を記念する会に招かれた当時のGHQの税務担当官ハロルド・モス氏は、青色申告制度が生まれた経緯について次のように述べている。

「私が来日しました昭和23年頃は、申告水準も低く、また、税務署には税収の目標制度が課されており、税務署はその目標額の達成に努めていた状況でした。このような状況は、納税者と税務当局との間の相互の信頼と協力関係が欠けていたことによるものです。

我々は検討を重ね、大蔵省の方々とも相談した結果、次のような抜本的な改革を早急に行うことが必要との結論に達しました。

1つ目は税収の目標制度を取り止めること (注) 、2つ目は記帳制度及び記帳に基づく申告を推進すること、3つ目は税務当局が帳簿書類を調査することなく賦課決定を行わないようにすること、そして4つ目は軍政部による督励を廃止することでした。

当時は納税者の申告水準の向上が重要な課題となっており、1949年にシャウプ使節団が来日した際には、納税者と税務当局との間の相互の信頼関係を育成する簡単な方策が検討されました。そして、いわば納税者と税務当局の間の『契約』ともいえる『青色申告制度』が考えられたわけです。」

(注)当時、GHQは、各税務署ごとに税収の目標数字を割り振り、その目標を達成するため、GHQがジープで各署を巡回し、徴収強化(いわゆる「尻たたき」)をしていた。

(青色申告制度の目的~自発的納税義務の向上)

「自発的な納税道義の向上を図るためには、納税者と税務当局の間の信頼関係を醸成することが必要と考え、納税者と税務当局の間の『契約』とでもいうべき青色申告制度を考えたわけです。

『青色申告制度』は、納税者の側にとっては帳簿を付け、記帳に基づいた申告をするという義務を負いますが、いくつかの特典を享受できます。また、税務当局にとっては納税者のより正確な申告が期待できますが、その帳簿書類を調査してからでなければ更正できないという拘束を受けます。したがって、青色申告制度は納税者と税務当局の間の信頼関係を高め、ひいては納税道義の向上を図るために考案されたものです。」

(青色申告の考案者)

「青色申告制度の考案者は、たぶんシャウプ博士自身だったと思います。」

(どうして「青色」になったのか)

「どうして申告書の色を青色にしたかはよく覚えていませんが、白色と区別することが目的であって、そのためには他の色でもよかったと思います。ただし、私は黒だったら反対していたでしょう (注) 。」

(注)ただしその理由についてモス氏は何もふれていない。

▶あとがき

GHQによる徴収強化作戦に反対した前尾繁三郎主税局長は造幣局長に左遷され、また、第一線では、解釈の不統一、非行が横行するなど、当時の税務行政は現在では考えられない状況にあった。

まさに今昔の感がある。