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[全文公開] アングル コルシカ島

 税理士 川田 剛

( 102頁)

▶はじめに

ナポレオンの出身地でもあるコルシカ島は、つい最近まで相続税がなく、VATの税率もフランス本土より大幅に低いことなどから、フランス版のタックス・ヘイブンではないかと指摘する声もあった。

しかし、同島は、その歴史的経緯等もあって、同じフランスでありながら、目立った産業もなく、最も遅れた地域とされてきた。そのため、フランス政府は、同島の振興策に力を入れきた (注)

(注)若干背景等に異なる面はあるが、わが国では、沖縄について、昭和47年(1972年)の本土復帰に伴い制定された「沖縄振興特別措置法(平成14年(2002年)及び平成24年(2012年)に一部改正)」により、沖縄の置かれた特別な諸事情に鑑み、沖縄の自主性を尊重しつつ、沖縄の豊かな住民生活の実現に寄与することとしている。

そこで、今回は、コルシカ島の歴史等をふまえつつ、同島の現状等について紹介してみることとしたい。

▶コルシカ島の地理と歴史

コルシカ島のユニークさにつきまずふれておかなければならないのは、同島の置かれた地理的特異性についてである。

同島は、フランス領とはいうものの、南はイタリア領のサルディニア(鰯)島、東及び北もイタリアにかこまれている。

このような地理的特性もあり、同島の島名もイタリア語が語源(森の島)となっている。

歴史的にみても、イタリアとの関係は、フランスよりも長く、かつ深い。それは、現在コルシカ島にある都市のほとんどは、ジェノバ(イタリア)による同島統治時代に建設されたものであることなどからみても明らかである。

しかし、ジェノバの統治があまりにも過酷だったことから、島民は当時の支配者だったジェノバに対し、たびたび反乱を起こしていた。

その一例が、1729年に発生したコルシカ独立戦争である。これらの反乱を押え切れなくなったジェノバ政府は、1768年、フランスに対し、フランス軍を同島に派遣するという条件の下に、同島の統治権をフランスに譲る旨の条約を締結した。

この要請を受けて、フランス軍は、大規模な兵員を派遣した。その結果、独立軍が敗れ、完全にフランス領となったという次第である (注)

(注)ちなみに、ナポレオンが誕生したのは、この戦争終了直後のことである。

その後も、同島民による民族主義運動が続発してきているが、大きな流れにまではなっていない。

しかし、だからといって、コルシカ島民が全てフランスからの独立を望んでいないということではない。

このような事態に対処するため、フランスでは、同島の観光振興などに力を入れているほか、税金面でも、VATの税率をフランス本土のそれよりも安くするとともに、法人税についても軽減税率を適用するなどの措置が講じられている。

このような税制上の特例措置に着目し、コルシカ島は、フランス版のタックス・ヘイブンだとする見方もある。

しかし、地域振興策としての税制上の措置、地域振興のための税制上の優遇措置を講じることは、フランスに限られた話ではない。例えば、中国やブラジルなどに同様の地域振興税制が設けられており、それなりの成果もあがっている。

ちなみに、わが国でも、沖縄振興策の一環として税制上の手当てが講じられてきており、それなりの成果をあげていることも周知のとおりである。

(参考)沖縄振興特別措置法に基づく沖縄のみに適用される税制上の措置(国税、①~③のいずれかを選択)