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[全文公開] Topics Plus No.6 板倉亮子とエリオット・ネス

 税理士 遠藤 克博

( 75頁)

執筆者経歴

東北大学経済学部卒業、1978年 東京国税局入局。1990年 国税庁調査課からロンドン長期出張、1997年~1999年 税務大学校研究部教育官、2000年~2003年 東京国税局調査第一部国際調査課課長補佐、2003年~2006年 税務大学校国際租税セミナー担当教授。2008年 税理士登録、2009年~2020年 青山学院大学大学院国際租税法客員教授、2010年~ 上場企業の社外役員。

主な著書「海外取引の税務Q&A」「税理士のための国際税務の基礎知識」(税務研究会)、「BEPS文書作成マニュアル(共著)」(大蔵財務協会)など著書多数。

国税庁発表資料より思い起こす

令和5年度の査察の概要(報道発表R6.6)では、「輸出物品販売場の許可を受けたコンビニエンスストアにおいて、虚偽のパスポート情報を用いて免税商品を販売したと装い、架空の輸出免税売上を計上することで、不正に消費税の還付を受けた」事案が取り上げられました。マルサも国際取引に常時目を光らせている一面を示しています。

●映画化された「マルサ」

1987年(昭和62年)に公開された伊丹十三監督、脚本の日本映画「マルサの女」をご覧になったことはありますか?

業界(?)用語だった「マルサ」が、国税局の一部署であって、正しい申告を行う庶民の味方であることを印象付けた作品です。サラリーマン家庭にはなじみが薄い税務調査に素材を求めた勧善懲悪のストーリーでしたが、第11回日本アカデミー賞の最優秀作品賞をはじめ、主要部門を総なめにしました。

伊丹十三は、俳優、デザイナー、エッセイスト、テレビのリポーターなどテレビ時代の幕開けとともに広範に活躍した人物ですが、映画監督となったのは51歳の時でした。デビュー作は『お葬式』(1984年)で、妻である宮本信子を主演に、葬儀に集まる人々の人間模様をコミカルに表現し、日本映画の新時代をけん引しました。

伊丹十三の父・伊丹万作も、俳優で映画監督、エッセイストでした。知性派と呼ばれた万作は、名作「パリの空の下」「巴里祭」で知られるルネ・クレールと比較され、「日本のルネ・クレール」と呼ばれました。『無法松の一生』のシナリオを担当しましたが、十三にもその才能がしっかりと引き継がれているようです。

宮本信子演ずる板倉亮子は、港町税務署の調査官で、シングルマザー。仕事にも家事にも一生懸命のたくましい女性ですが、いつも寝ぐせが取れないおかっぱ頭で、顔はそばかすだらけの風貌でした(小生が国税局でご一緒した調査官はおしゃれな方が多かったのですが、たまに板倉亮子に似た魅力的な(?)女性調査官がおられたことを思い出します)。

●緻密な取材と描写

伊丹監督は、実際に東京国税局の現職の女性査察官に取材し、その人となり、仕事ぶりを詳しく研究したようです(制作当時、筆者の上司の飲み仲間だった独身女性査察官から行きつけの居酒屋でお聞きしました)。映像の美学を大切にする伊丹監督は、見た目をおろそかにしませんでした。俳優が台詞を口にする前に、画像として映し出される俳優の表情から、俳優が演ずる配役のキャラクターを観客に感じてもらうことに賭けたのでした。伊丹監督は、この作品の中で、登場人物に様々なメガネ、サングラスをかけさせています。メガネのフレームの色、素材、レンズの大きさや形にこだわり、衣装や小物などの色や形と相まって、人物像に奥行きを持たせていました。

板倉亮子は、税務署で、大滝秀治(ひでじ...好きだった俳優です)演ずる統括官の指導の下、パチンコ屋や飲食店の調査実績が評価されて、かねてからの希望だった国税局査察部に異動になります。統括査察官である津川雅彦(美男俳優三兄弟の次男)の下で、同僚の「マルサのジャック・ニコルソン」と呼ばれる査察官・大地康雄とともに、ラブホテルの査察事案を担当し、やくざの親分と付き合いのある経営者権藤(演技派山崎努)と対峙して、権藤の特殊関係人のマンションに隠された脱税資金を預けた貸金庫の鍵に迫る展開となります(銀行調査の場面で、査察官を貸金庫に案内する銀行の支店長の姿がコミカルに描かれています)。

●調査における査察官の一面

この映画で、特に印象に残っているシーンがあります。権藤の特殊関係人が住むマンションの外の裏路地にあるゴミ置き場に、そぼ降る冷たい雨の中、浮浪者を装って座り込み、特殊関係人の行動を見張る大地康雄の姿です。外観調査、内観調査と呼ばれる調査手法ですが、現実世界で実践している査察官、調査官の必死さが観客の皆さんに伝わったのではないかと、うれしくなったことを覚えています。

「査察」と「税務調査」は非なるもの

「査察」という検査の手続きは、「検査をしてよい」という令状を手に検査を行う手続きです。一方、「一般の税務調査」は質問検査権に基づく任意の調査です。そこには手続上大きな違いがあります。しかしながら、いわゆる「現金商売」(現金で決済される取引)の調査は、「何月何日何時から、どこで、何の調査を行います」という事前連絡を行うと、きちんと整理された帳面と売上金が、納税者によって用意されますので、不一致は発見できません(当然のことです)。そのため、「事前連絡をしないで、抜き打ち調査を行う」方法が採用されることがあります(現在任意調査で、どの程度採用されているかは次回の飲み会で友人に聞いてみたいと思います)。

●無予告調査による立場の違い

無予告による臨場調査は、調査を受ける側にとっては、まさに寝耳に水であり、不意打ちの調査に対応する納税者のストレスは想像に難くないものです。

一方、調査を行う調査官にとってどうかというと、実は、次のようなリスクを伴うため、調査手続きが予定通り進むか否かは、運任せのところもあるのです。

① 調査対象の納税義務者が不在の場合、関係者がいても、納税義務者の了解が得られなければ調査手続きに移行できない。

② 現金の管理、資産等の管理、会計帳簿の記載内容の説明等、調査の核心である内容は、その担当者が不在の場合、解明ができない。

③ 顧問税理士に通知する必要があり、その了解が取れない場合がある。

④ ビジネス上の別な重要用務が予定されているため、日を改めるよう要請される。

●適正な会計処理が求められる

個人事業者も法人も、事業として行う取引については、すべて会計処理が行われます。現金で商品を売り上げた場合、借方(現金)・貸方(売上)という仕訳が行われるわけです。事程左様に、すべての取引が会計処理されていれば、課税所得金額も適法、適正に記録、計算されます。

困ったことに、借方(現金)、貸方(売上)の記帳がなされず、請求書などの証憑書類も保管されず、取引代金も別に保管されている状況が、納税者の意志、錯誤により発生しうるのです。

税理士、会計士が専門家として、チェック機能を発揮し発見できる間違いであれば、その指導により是正が可能です。しかしながら、故意に証憑類を破棄する、会計帳簿に記載しない、といった状況では、いくら優秀な専門家でも指導の仕様がありません。

マスコミ報道から見る査察の意義

税務調査の手続きは、調査対象以外のすべての国民の皆さんに代わって、申告、納税の義務が適正に履行されているかどうかを確認する作業といえます。第4回(2024年6月号)で、全国にある法人の数は約330万社で、税務調査を受ける法人数はそのうちの1.8%であるというお話をしましたが、査察が行われる比率はさらに低いといえます。

調査事案、査察事案の内容が公表されることはありませんが、マスコミが入手した情報が新聞等で報道されることはあります。新聞に掲載されるものは、記者の視点で、読者が注目するであろう事例に限られるようですが、その報道により、国のチェック機能が有効に機能している一面が、国民の皆さんに伝えられるという点に注目すれば、接触割合が低いとしても、一定水準の納税道義が維持されるという見方も可能です。

●地道な調査努力

「マルサの女」の中で、板倉亮子が調査対象として選定された飲食店のお客として食事を注文し、テーブルに置かれた伝票に印をつける場面がありました。後日、調査に臨場した際に、その伝票が売り上げの集計を行った後の伝票綴りに入っていなかったら、その分の売上が除外されていることになります。

調査の事前準備として、何度お店に行って印をつけるのか、さらに、はたして印をつけた伝票を店長が売上除外分として綴りから外すか否か、これは確率の問題です。国税側としては、あまり高くない確率なのかもしれません。

●実話を基にしたハリウッド映画

海の向こう、ハリウッドにも、脱税を扱った名画があります。米国では、1930年前後、禁酒法が施行されて、消費のためのアルコールの製造、販売、輸送が全面的に禁止されました。密造酒の販売で巨額の利益を上げたマフィアのボス、アル・カポネは、所得税の脱税と、禁酒法違反の両面から、エリオット・ネス捜査官のチームの捜査の対象となり、名画「アンタッチャブル」の世界が展開しました。ブライアン・デ・パルマ監督が、ケビン・コスナー、ロバート・デ・ニーロを主演に迎えて大ヒットした勧善懲悪の娯楽大作で、第60回のアカデミー賞受賞作です。

洋の東西を問わず、早朝から深夜まで額に汗して仕事に励み、わずかな収入からもきちんと納税している庶民は、夜、昼なく、休日も休まず、ひたすら巨悪を負う査察官に共感を覚えるのかもしれません。