ハーフタイム 認識と行動,認識と測定

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作家三島由紀夫は,小説『金閣寺』の最後の部分で,吃音で破滅的な性向をもつ主人公と,彼に放火を思い止まらせようとする友人の間で,認識と行動を巡り議論させている。「俺は君に知らせたかったのだ。この世界を変貌させるものは認識だと。他のものは何一つ世界を変えないのだ。認識だけが世界を不変のまま,そのままの状態で変貌させるのだ。他にあるとすれば狂気と死だよ」。友人の忠告に対して主人公は反論する。「世界を変貌させるものは決して認識なんかじゃない。世界を変貌させるものは行為なのだ」。

主人公は,昭和25年に実際に金閣寺放火事件を起こした犯人がモデルである。また昭和45年には,三島自身が自衛隊駐屯地でアジ演説の末に自決した。これら2つの事件を想い出したとき,誰しも知りたいのは認識と行動(または行為)の関係であろう。小説の主人公は同寺の徒弟僧だったが,仏法や学問に傾倒した様子はないから,認識なき行為はいかに危険であるかを示している。三島はノーベル文学賞候補だったほど高度な認識の持ち主だったが,最後の選択はなぜか行動だった。それを"死の美学"と言う人もいれば,"錯誤の愚行"と言う人もいるだろう。

剣呑な話は止...