『マネジメント倶楽部』掲載コラムを毎月1つご紹介します。
2022/03/23 9:45
このコラムは『マネジメント倶楽部』2022年3月号に掲載されました。
山形県南部に位置する長井市で、2021年の春から、月に1度のペースで「大人のためのリベラルアーツ」という講座が始まりました。「リベラルアーツ」とは、「人の精神を自由にする幅広い基礎的学問・教養」という意味です。ポイントは、同地域に住む「面白い」ことをしている人を呼んで話を聞き、地域自体の文化水準を高めていこうという試みだということです。始めたのは、元教師と、福島県からの避難者である塾の先生です。今回は、この地域に恩返ししたいという思いから始まった学びの場づくりについて紹介します。
──お二人の経歴と出会いについて聞かせてください。
八木:私は元高校教師で、現役のころから、土日になるとボランティアでアウトドア体験ができる自然塾を開催していました。自分の下の子どもが大学を卒業したら私も教員を早期退職すると決めていたので、山岳ガイドの勉強をして資格をとり、その他、いろいろな資格をとって準備もしていました。教員を辞め、本格的に自然塾「葉っぱ塾」の活動を始めたのは、2008年です。春は田植え、夏はキャンプや登山、秋はキノコ狩りやハイキング、冬はスキーやスノーシューを履いてのトレッキングなど、四季に応じた体験を提供し、やっと知名度が出てきたなと実感していたとき、東日本大震災が起こりました。夏までの予約が全部キャンセルになってしまったんです。そこで、被災地のボランティアに行くようになりました。
(写真:地元の山を案内する八木さんたち。)
震災直後は瓦礫の片付けなどだったのですが、時間が経過するとニーズが変わってきて、福島からの情報の中に、被災者、特に子どものいる家族が、転居はできなくともしばらく福島を離れて、安心して過ごしたいという「保養」のニーズがあるということもわかりました。実は、「葉っぱ塾」でやっていたことに近い形で、被災地の人に関われないかと模索していたので、それならすぐできると、"週末保養「森の休日」"というネーミングで2012年5月から保養活動を開始しました。当時の福島の人は放射能の懸念から、北は北海道から南は沖縄まであちこちに保養に行っていました。短期、長期の保養が様々な団体等によって行われていましたが、比較的近場でのメニューが少なかったのです。そこで、福島から1~2時間程度で来られる山形県朝日町で、子どもたちにブナの森で思う存分遊んでもらって(当時、福島の子どもたちは外遊びが制限されていました)、保護者も日々の不安やストレスを少しでも解消できたらという気持ちで保養活動を始めました。2022年9月で通算100回の開催になる予定です。当初は、この週末保養が3年くらい続けばいいかなと思っていたのですが、助成金などを頼らずに、みなさまの募金だけで10年も続いたことに自分でも驚いています。
さすがに震災から10年経つと募金も減ってきていますが、まだまだ続けられる限り継続したいですね。学生や県内各地から参加してくれるボランティアもたくさんいて、野外活動の付き添い、子どもたちの遊び相手、お父さん、お母さんたちの話し相手、夕食づくり、その他の体験活動のお手伝いをしてくれます。この保養活動に、村田さんも長井市に避難している福島の人という形で参加してくれました。
(写真:ヤギおじさんの愛称で大人から子どもまで親しまれている八木さん。)
村田:実際には八木さんとの出会いは、「森の休日」への参加より前ですが、この活動に参加したことがきっかけで、その後、交流が深まりました。
私は福島県いわき市の出身で、市内の学習塾に23年間勤めていました。当時、1歳と3歳の子どもがいて、震災による福島第一原発の水素爆発をきっかけに自主避難を選択し、兄のいる長井市に家族でやってきました。2011年の3月14日のことです。
長井市に避難してからは、ハローワークに通う日々でした。ハローワークにくる求人を見てみると、月収は約15万~18万円の仕事でした。教え子をいわき市に置いてきたわけですから、そのころはまだ、長井市で塾を始める気持ちになれませんでした。一般的な塾代は1ヶ月3万〜4万円ですから、それはこの地域の人たちに支払える金額ではないなと思ったことも、理由のひとつです。保護者が教育にかけられるお金は、給与の10%くらいが相場です。長井市の給与事情から考えると1万5千~1万8千円程の計算になりますが、それでは塾の経営は成り立ちません。やはり塾はできないなと、そのときは思いました。
そうこうしているうち、長井市のNPO法人レインボープラン市民農場の方々と出会い、職員として働き始めました。畑作業は初めてでしたが、野菜作りは楽しかったです。また、長井市には福島県から避難していた人が多かったので、同じ境遇にある方々と一緒に畑作業をしながら、家庭の相談にも乗るようになりました。土に触れながら福島の人たちと交流していくなかで、原発事故後の生活には食やエネルギーなどについて、自給的な暮らしを目指すことが欠かせないと考えるようになりました。そして、この地域でそれをどう実践していくのか、自分だけではなく、長井市の人や子どもたちと一緒に考える場が必要だと思うようになり、「塾」という道が見えてきました。
そして2015年11月から「七色学舎」という塾を始めました。国社数理英の5教科を2時間ずつ、週3回のペースで教えています。地域密着を考えて、1ヶ月24時間の授業料で1万6,800円の格安です。さらに受験直前の80時間は無料で教えていますが、地域のみなさまのご協力があってなんとかやれています。一番必死なときの子どもたちと濃密な時間が過ごせるので、それが人対人として深いつながりになります。保護者も巻き込み、市民として未来をともに作っていく仲間となるのです。
自然環境の中で様々な考えを持ってもらいたいので、毎年開催する夏期合宿では、集中学習ではなくて、キャンプやアウトドア体験を実施しています。今年は、それに加えて、ミツロウ工房でのキャンドル作りや陶芸を行いました。その他、田植えや稲刈りも塾の子どもたちと行っています。こういった体験が子どもたちの人格形成につながります。もともと小中学生向けの塾でしたが、高校生になっても通いたいというリクエストがあり、高校生も受け入れています。
(写真:七色学舎の様子。旧結婚式場の建物を利用しているので、神棚があり、受験生の合格祈願にも利用されている。)
(写真:子どもも大人も、一緒になって田植え体験。)
──お二人が始めた「大人のリベラルアーツ」とは?
村田:今は知識が自分のものになりにくい時代です。人から見聞きしたり、本から身につけたりした知識とは違い、ネットで検索して簡単に手に入れるからです。直に人から話を聞いて、そこから自分の意見をもって自分の知識としていくという経験をさせてあげたいな、と八木さんと話したことが始まりです。八木さんの「葉っぱ塾」に塾生が参加したときや、夏季合宿での様子を見ていて、もっとこういう機会を与えてあげたいと思いました。そしてそれが、地元の人から教わるような形がとれたら、これからの長井市を考えたときに、とても有益なものになるだろうと。さらに、地元の人も学び合う場になったら......そう考えて始めたのが、「大人のリベラルアーツ」です。
夏休みはクワガタやカブトムシをテーマに実施しました。山形新聞にとりあげられたことをきっかけに、教員経験者が来てくれました。ネットや新聞で違う地域の人の面白い活動を知る機会はあるのですが、地元の人の活動を意外と知らないので、地元の人で面白いことをやっている人にお話を聞いてみようという活動をしています。世界史、化粧品の話、子ども食堂の話などです。子ども食堂などは、畑も田んぼもあり、食べ物を作る場所がたくさんある町なのに、こんなに必要とされているのかと、正直自分も驚きました。こういったことも「大人のリベラルアーツ」での学びのひとつです。
八木:もともと山形県は、教師の組合活動がさかんな地域として知られています。源流となったのは、敗戦直後の山形県山元村中学校。そこの教師の無着成恭(むちゃくせいきょう)先生が、当時の貧しい生活そのものを生徒につづらせた作文で教育を行いました。その作文集が『山びこ学校』です。これが戦後の社会科の新しい教育の手本として評価され、ベストセラーになりました。この教育実践が全国的な研究会に発展し、それを組合がバックアップする仕組みがありました。そのなごりで、教師が学年主任とか管理職の手当をもらうと、個人の懐に全部を入れず、8割を拠出して地域の文化活動に当てるという仕組みがあったのです。
例えば、教師が映画の機械やフィルムを借りて、公民館で映画上映会などをやっていました。いわば、教師は地域文化のリーダー的存在でした。そういった風習がどんどんなくなり、今では教師は学校の外で活動しなくなりました。大人や教師が文化芸術に触れると、その経験が地域の子どもたちに還元できますから、この「大人のリベラルアーツ」に、もっと参加してほしいなと思っています。
村田:地域貢献という点では、塾に通う子どもたちの学力を上げることは、私が学習塾を経営していて求められている最低限の地域のニーズで、もちろんそれは大事ですが、高い学力を自分が成功するためだけに使うのではなく、地域や、社会のために使えるような大人になってほしいと思っています。やはり私は震災以降、長井市に避難してきて、長井市の方々に助けられたので、地域のために何か恩返ししたいという気持ちが強いですから、そういう発想が生まれました。高校生くらいになると詰め込み型学習ではなくて、自分の頭で物事を考えるようになるので、リベラルアーツの内容についても興味関心を持ち始めるでしょうから、高校生を対象とした企画を組むのもいいかなと思っています。そうして、地域の未来を語り合える人材が、もっともっと増えていってほしいと願っています。
(写真:リベラルアーツの導入について語る村田さん。)
──スタジオジブリのアニメ映画『魔女の宅急便』の原作者の角野栄子さんは、戦争中 に、集団疎開で長井市へ行きました。その恩を返すように、同市で講演会を開いたり、市立図書館に本を寄贈したりという関わりを続けています。今回取り上げた取り組みは、個人の優れた能力や高い立場を自分のためだけに使うのでなく、その恵まれた能力を地域に「循環」していく人材の育成を目指していることに期待が持てます。『山びこ学校』の時代から環境は変わっていますが、教師や経営者といった立場の人たちが地域の教育や文化に貢献する活動をすることで、社会に良い循環が生まれていくことでしょう。
八木文明(やぎ ふみあき) 村田 孝(むらた たかし) |
(文/平井明日菜 写真提供/鈴木貫太郎、葉っぱ塾・七色学舎提供)
このようなコラムをあなたの顧問先と共有しませんか?
『マネジメント倶楽部』はあなたの顧問先にお読みいただく情報誌です。詳しくはこちら↓
税研ホームページ:マネジメント倶楽部
2021/10/13
介護付き旅行事業のパイオニア SPIあ・える倶楽部 篠塚恭一さんに聞く コロナ禍で見えた「旅行」の持つ意味【マネジメント倶楽部・今月の深読み!】
2021/09/17
2万3,000人が集う企業内大学「Zアカデミア」 ディレクター 石塚勝巳さんに聞く 人材育成は未来への投資【マネジメント倶楽部・今月の深読み!】
2021/08/17
NPO法人 自伐型(じばつがた)林業推進協会 中嶋 健造さんに聞く これからの山林の生かし方【マネジメント倶楽部・今月の深読み!】
2021/07/12
挑戦し続ける企業パタゴニアに聞く 地球というフィールドを受け継ぎ 将来の世代に手渡すビジネス【マネジメント倶楽部・今月の深読み!】
2021/06/16
「まちの映画館」日本最古の映画館 高田世界館支配人 上野迪音さんに聞く 映画・文化・地域コミュニティの創出【マネジメント倶楽部・今月の深読み!】
2021/05/17
認可保育園「カミヤト凸凹保育園+plus」常務理事 馬場拓也さんに聞く 理想は高く!社会を「やさしく」する保育園【マネジメント倶楽部・今月の深読み!】
2021/04/12
湯浅醤油有限会社代表 新古敏朗さんに聞く 歴史や伝統に胡座をかくことなく進化する世界一の醤油作り【マネジメント倶楽部・今月の深読み!】
2021/03/16
「アイくるガールズ」プロデューサー関野豊さんに聞く シビックプライドを取り戻すローカルアイドルグループ【マネジメント倶楽部・今月の深読み!】
2021/02/02
認定NPO法人「アール・ド・ヴィーヴル」アートディレクター 中津川浩章さん 理事長 萩原美由紀さんに聞く 障害がある人と社会をつなぐアート【マネジメント倶楽部・今月の深読み!】
2021/01/06
公益財団法人「日本電信電話ユーザ協会」技能検定部長 吉川理恵子さんに聞く 新時代のコミュニケーション 見えない相手への思いやりの伝え方【マネジメント倶楽部・今月の深読み!】
2020/12/15
逆境から立ち直った元アスリート 花岡伸和さんに聞く セルフマネジメントでレジリエンス(折れない心)をつくるには【マネジメント倶楽部・今月の深読み!】
2020/11/04
BLEND代表 杉山大輔さんに聞く 海まで徒歩3分のコワーキングスペースが地域に与える影響とは【マネジメント倶楽部・今月の深読み!】
2020/10/13
株式会社インフォマート 代表取締役社長 長尾 收さんに聞く 「脱!紙とハンコ。経理の電子化、ペーパーレス化、テレワーク化を助けるツール」【マネジメント倶楽部・今月の深読み!】
2020/09/03
株式会社東京乳母車 店長・横田 晶子さんに聞く 「育児がもっと楽しくなる乳母車」【マネジメント倶楽部・今月の深読み!】
2020/08/06
伝統を守りつつ生まれ変わる箱根・富士屋ホテル 総支配人 溝田 正憲さんに聞く富士屋流おもてなし【マネジメント倶楽部・今月の深読み!】